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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">映画「知りすぎていた男」(1956)♪ケ・セラ・セラ~♪</span>




アルフレッド・ヒッチコック監督の「知りすぎていた男」(原題:
The Man Who Knew Too Much, 1956)を見た。

テレビではかつてざっと見ていたが、ドリス・デイが歌う「ケ・セラ・セラ」の歌だけが印象にあり、物語は忘れていたが、今回再見して、ヒッチコック・サスペンスの引き込まれる面白さを改めて実感した。映画は、ヒッチコック自身が1934年制作の「暗殺者の家(原題同じ)のリメイク。

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映画の冒頭で、演奏会のシーンがあり、打楽器の一つであるシンバルを叩くシーンがあるが、これがのちの物語の展開で、伏線として大きな役割を担っている。



あまりにも有名な「ケ・セラ・セラ」の歌(アカデミー賞歌曲賞受賞)だが、この歌がうたわれる場面も、大きな意味があった。

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アメリカの医者ベン・マッケナ(ジェームズ・スチュアート)はブロードウェイのミュージカル・スターだったジョー夫人(ドリス・デイ)と、7歳になる息子ハンクを連れて、パリでひらかれた医学会議に出席した後、フランス領モロッコへ旅をした。

カサブランカからマラケシュへ行く途中、バスの中でマッケナ夫妻がアラビア人の男につかまって困っているとき、ルイ・ベルナール(D・ジェラン)というフランス人の若い男に助けられる。



マラケシュに着いた時、ベルナールをカクテル・パーティにさそう。
ベルナールは後で一緒にアラビア料理店へ行くことを条件として招待に応じる。

その夜マッケナ夫妻はホテルにベルナールを招く。数分後、ノックの音が聞こえて、ジョーがドアを開けると1人の男が廊下に立っていた。その男はベルナールの姿を見つけると、部屋をまちがえたと云って、あわてて帰って行く。

突然ベルナールはベンとジョーをアラビア料理店に連れて行くことが出来なくなったといい急いで部屋を出て行った。マッケナ夫妻が2人だけで食事に出かけるとイギリス人のドレイトン夫妻がジョーの姿を認めて話しかけてきた。

翌日、ベンとドレイトン夫妻と一緒にマラケシュの市場を見物に出かける。
あたりがさわがしくなって、1人のアラビア人が何者かに殺される。

アラビア人は息をひきとるまえにベンの耳に秘密を告げた。
しかも、アラビア人と思ったのは、ルイ・ベルナールの変装だったのだ。

マッケナ夫妻は証人として警察に連れて行かれた。ドレイトン夫人はハンクを連れてホテルに帰る。ベンに不思議な電話がかかる。ベルナールが最後に云った「アンブローズ・チャペル」という謎の言葉を話したらハンクを殺すという脅迫だった。

ベンはハンクのことが気になるので、一緒にきたドレイトンを先にホテルに帰らせて様子を探らせることにする。マッケナ夫妻が釈放されて、ホテルに戻るとドレイトン夫妻はすでにモヌケのカラだった・・・(Movie Walkerより一部抜粋)。


         「ケ・セラ・セラ」の歌には意味があり、ただ歌っていたのではなかった!
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大使館の大使が、首相暗殺を企てていたというのも驚きだが、大使館というところは、治外法権で、警察も介入できないところ。情報収集、スパイもどきの活動など魑魅魍魎といった印象。大使の命を受けた首謀者が教会で信者にスピーチをしていたが、マッケナ夫妻が紛れ込んでいたことを知った仲間の女が、目で合図するシーンなどは見応えがあった。

バスに乗り合わせた男から話しかけられた医師のマッケナが、今回の旅行の目的、出身地、どこを回ってきたかなどを、聞かれるままに、話の流れで答えていたが、それをあとで咎める妻。相手の正体もわからないのに、べらべらと話して、相手は、マッケナについての個人情報を聞き出していたのではないかというのだ。そのあたりの慎重さがマッケナには欠けていたようで、あとで妻の予想が的中することになるのだ。

演奏会のハイライトのシーン、ラストのオチなどは見所だった。

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ところで、一昨日、「昭和の偉人伝 淀川長治」というBSの番組を見たが、その中でも、日曜洋画劇場のかつての放送の一部のシーンがあった。「知りすぎていた男」の解説で「怖いですね、怖いですね、10何分間のコンサートのシーンはすごいですね。サスペンスを盛り上げていましたね」などと語っていたので見直したのだった。

この番組では、映画評論家のおすぎと、字幕翻訳家の戸田奈津子日曜洋画劇場の元番組ディレクターなどが、淀川長治の印象等を語っていた。

戸田によると「どんな映画でも、いいところを見つけて、あの独特の語り口で、見る気を起こさせるような解説をしていた」だった。

おすぎは、自分ではとてもテレビの解説はできないという。「嫌いな映画は嫌いと、みなくてもいい」とはっきり言ってしまいそうだからだという。「映画だけを見るのではなく、音楽、芸術、歴史など一流のものに接すること」というのが淀川長治主催の「映画友の会」で印象に残っているという。「国の歴史も文化も全て映画を通じて学んだ人だ」と語っていた。

洋画劇場元ディレクター氏によると、淀川は「カメラワーク」にこだわったという。
しかも、カメラと言わずに「キャメラ」という言葉を使っていたという。「この映画はキャメラがすごいですね」など。「知りすぎていた男」なども、人物の歩く背中、前からなどアングルを変えて映し出し、動きなども緊張感が感じられた。

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