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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">映画「ホタル」(2001): 高倉健主演。</span>


 
高倉健追悼番組としてNHKBSプレミアムで放送された「ホタル」(2001)を見た。
この映画は、「鉄道員(ぽっぽや)」の降旗康男監督高倉健がタッグを組んだ重厚な人間ドラマで、東映創立50周年記念作品でもあった。助監督として佐々部清(「半落ち」)の名前があった。佐々部監督は、翌年「陽はまた昇る」(2002)で監督デビューした。
 
第二次世界大戦の特攻隊員として生き残った漁師が昭和の終わりに直面し、不治の病に侵された妻とともに、ある”旅”に出かけることを決意する。
 
この映画を見ていて、高倉健の遺作となった「あなたへ」と多くの共通点があることに驚いた。両作品とも主人公の夫婦を高倉健田中裕子が演じていることもあるが、どちらも最愛の妻が先立ってしまう男の無念さと同時に感謝の気持ちが湧き上がる姿が胸に迫るのである。
 
「ホタル」は、第25回日本アカデミー賞で13部門にノミネートされ、高倉健も主演男優賞にノミネートされたが、「後輩の俳優に道を譲りたいと」と辞退したが、これは、当時の報道で覚えている。この年の最優秀作品賞は「千と千尋の神隠し」であったが、他の賞の多くは「GO」(行定勤)が受賞した。
 
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ホタルというと、50年も前の田舎では、日本では広く知られるゲンジボタルをよく見かけたものだが、いまはほとんど見ることがない。子供の頃には、「ホーホー、蛍来い、こっちの水は甘いぞ」という蛍狩りの唄が知られていた。「甘い水」は、農薬等のない水のこと。
 
この映画「ホタル」のタイトルは、特攻隊として、出動することになった隊員が「敵艦を爆撃して、自分はホタルになって帰ってくるから、ホタルをみて追い払わないで欲しい」と食堂の女主人で、すべての隊員の母替わりの山本富子に残した言葉から来ている。
 
特攻隊という、決して生きて帰れない自爆行為がお国のためという大義で正当化されていた時代。後の「永遠の0」にも共通するが、運命を狂わす戦争の残酷さ。二度と繰り返さないように「特攻のことを語り継いでください」という言葉も印象に残る。
 
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映画は、一言で言えば、戦争の傷跡を内に抱えて生きる夫婦の愛と絆の物語。
桜島を望む鹿児島の小さな港町で静かに暮らす山岡(高倉健)と妻の知子(田中裕子)。漁師をしていた山岡は、知子が14年前に肝臓を患い人工透析が必要になったのを機に沖合での漁をやめカンパチの養殖を始めた。
 

 
時代が昭和から“平成”に変わったある日、山岡は藤枝(井川比佐志)という男が青森の冬山で亡くなったことを知る。藤枝は山岡と同じ特攻隊の生き残りで、彼の死に山岡は愕然とする・・・。
 
山岡は、知覧の母と呼ばれた富屋食堂の女主人の山本富子(奈良岡朋子)にある事を頼まれる。それは体が不自由になった山本に代わって、南の島で散った金山少尉(本名:キム・ソンジェ)(小澤征悦)の遺品を韓国釜山に住む遺族に届けて欲しいという頼みだった。山岡の妻・知子は、金山少尉の初恋の相手であり、金山と将来結婚の約束をしていた仲だった。
 
昔から世話になっている女主人の山本の頼みに、即答ができず、山岡は複雑な気持ちではあったが、余命わずかな知子のことを考え、知子にも同行してもらい、韓国に向かう決意をする。
 
しかし韓国に到着してみると、金山家の人達は、山岡たちを快くは思ってくれなかった・・・。「大日本帝国のために、朝鮮人が死んで、お前(山岡)は生きているのはなぜだ」という親族の厳しい声もあった。それでも山岡は遺族に金山の遺言、最後の言葉だけは聞いてほしいと、伝えた。
 
金山は「日本のために出撃したのではなく、朝鮮と、家族と知子のためだ。ありがとう」ということを残したと、真摯な姿勢と涙ぐむ山岡に対して、理解を示す金山の家族の姿があった。知子は、「私が知子です。今は、山岡の妻です」と語ると、金山家では、知子の話は聞いており、金山の姉が、金山と知子のふたりが写った写真も持っていた。
 
山岡は、妻の知子が腎臓が悪化して、山岡自身の臓器が、移植に適合すると医者(中井貴一)から告げられていたが、医者は「最終的には、御夫婦で話し合ってください」ということだった。夫の移植の申し出に対して、知子は「いまさら、お腹を切るのはいやだわ。寿命に逆らわなくていい」というと、山岡は「二人でひとつの命じゃろうが。違うんか。」(泣かせる!)。
 
そして、20世紀最後の年。
「組合長が、”有馬記念”(1年の競馬を締めくくる年末の大レース)を取ったから飲んでくれ。来年も頼むぜ」という声が響く海辺。太平洋を臨む海岸に山岡の子供ともいえる、役目を果たした「とも丸」が炎に包まれていくのを、山岡は見つめるのだった。口をへの字にして、万感の思いを込めて・・・。
 
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高倉健が、全く珍しいほどのひょうきんな一面も見せていた。
妻と雪景色を眺めていると、鶴が2羽、じゃれあっている光景があったのだが、山岡は、服を脱いで、無邪気に両手を広げて「わぁ、わぁ、わぁ」っと鶴のまねをするのだ。これに合わせて、妻の知子も鶴のまねをして、笑い合うシーンだ。
 
また、家の中で、山岡が、風呂場から「石鹸はどこ」という声がしてくると知子は、藤枝の孫娘と談笑していたので「そこにあるでしょ」と答えるのだが、さらに山岡は、丁寧に言わないので教えてくれないのかと思って「石鹸はどちらにありますでしょうか」というのだ。
 
特攻で亡くなった隊員がほとんどが20歳前後の若者。中には最年少で17歳の若者がいた。・・・という映像がテレビで流れていた。山岡は、20年間のことが走馬灯のように蘇るものだという。「今でも笑っている隊員のことを思い出すが、その笑い顔は、笑っているようだが、泣き笑いではなかったのか・・・と。いまでもわからない」とつぶやく山岡。
 
食堂の女主人の山本富子(奈良岡朋子)の言葉も印象に残る。
「お国のためだ、万歳、万歳と言って殺したんだよ。我が子だったら、死ね、といえんでしょう」。
 
 
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