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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「日本列島」(1965)


 
日本列島」(1965)を見た。
当時新進気鋭の熊井啓監督のデビュー作「帝銀事件 死刑囚」に続く作品。
戦後日本の暗部をドキュメンタリータッチで鋭くえぐり出している
原作は、吉原公一郎小説日本列島」。音楽は「ゴジラ」の伊福部昭
 
戦後の日本で起こった謎の多い諸事件を米国の謀略と関連付けて追及し、日本映画監督協会新人賞を受賞。骨太の社会派監督として、この作品以降注目されるようになった。
 
出演は、宇野重吉芦川いづみ二谷英明鈴木瑞穂佐野浅夫加藤嘉大滝秀治ほか。アメリカ人の死亡事故から、次々に謎の死亡事故が続く藪の中の話。

 

 
・・・
(ストーリー)昭和34(1959年)、埼玉にある米軍基地、キャンプスコット、CID(犯罪調査課)のポラック中尉は、通訳主任秋山宇野重吉に、リミット曹長事件の解明を命令した。
 
リミット事件とは、1年前、米軍人のリミットが水死体となって発見されるや、米軍は死体を本国に送還、日本の警察を無視して事故死と発表した事件のことだ。秋山はかつて結婚して1年経った頃、妻が米兵に暴行を受け、事故死として死体が引渡された事件を思い、怒りを新たにした。
 
この事件を執拗に追う昭和新報記者の原島二谷英明と共に、秋山は、警視庁捜査三課黒崎鈴木瑞穂から、リミットが死の直前日本に出た贋ドルを追っていたこと、そして、精巧なドイツ製印刷機「ザンメル」とその技術の責任者で印刷工の伊集院元少佐が消えた事実を知らされた。

 

 
 伊集院の一人娘和子芦川いづみを訪れた秋山は、伊集院が数年前正体不明の男に連れ去られ、涸沢(からさわ、大滝秀治と名乗る男が他言せぬよう家族を脅迫すると立ち去ったことを聞いた。
 
 涸沢(からさわ)は米軍占領時代謀略(スパイ)機関で活躍した謎の男であった。昭和29年、贋ドルにまつわる事件に、当時検事として立ち会った弁護士日高は、滝沢の部下佐々木の口から、サン・ピエール教会を根城として、不良外国人がたむろすることを調べていた。
 
佐々木を訪れた秋山、原島は、佐々木が滝沢にリミットが贋ドルを追及していると知らせた事実を知り驚愕とした。やはりリミットは涸沢に消されたのか
 
数日後、佐々木は水死体となってあがった。
突然秋山にポラック中尉から調査中止命令が出た。
秋山はキャンプをやめて調査を続行した。
 
昭和35年外国航空スチュワーデス椎名加代子が水死体となってあがった。
容疑者として出頭したサンピエール教会サミエル神父は、取り調べの終らぬまま突然帰国した。
 
多くの疑問を残したまま3年が過ぎた。
昭和38年、スペンサー大尉から沖縄に伊集院らしい男が陳陽成と名乗っていると聞き、秋山は和子に了解を得ると沖縄に飛んだ。
 
だが秋山も、陳陽成と名乗る男も何者かに殺害され、当局は真相は永久にわからぬだろうと発表した。
 
 
昭和39年、この事件を追及するため沖縄に飛ぶ原島を和子は、励まし見送った。国会議事堂を背景に、力強く歩く和子の姿があった(MovieWalker)
 
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終戦後、日本で起こった未解決事年の松川事件下山事件に続いて、次々に起きた事件の背景にスパイ組織の極東ブランチや機関の存在があり、日本の政治にも少なからず影響を及ぼしていたことを描いている。
 
熊井啓監督というと、リアルタイムで見た映画では「忍ぶ川」(1972)が印象に残る。この映画は、1972年キネマ旬報ベストテン第1位・監督賞・脚本賞毎日映画コンクール大賞、芸術選奨文部大臣賞などを受賞した。
 
 
生涯でもっとも大きな存在感を示したのは「黒部の太陽」(1968)かもしれない。
三船プロダクション石原プロモーションが共同制作した大作黒部の太陽」では監督に抜擢された。当時の映画界に厳然として存在していた五社協定の圧力にも負けず、三船敏郎石原裕次郎佐野周二滝沢修高峰三枝子ら豪華なスター共演によって黒四ダムの建設を見事に描き、成功を収めたのだった
 
また「からゆきさん」に題材をとった田中絹代が出演の「サンダカン八番娼館 望郷」(1974)も忘れがたい。
 
主演の宇野重吉は、戦前から戦後にかけて、演劇界をリードしてきた名優の1人であり、滝沢修らと劇団民藝を創設。「日本列島」でも、その飄々とした風貌で、独特の雰囲気を見せていた。
 
松竹から移ってきていた北原三枝とともに日活の中心的な存在となった芦川いづみがいい絶望を大声を挙げて絶叫するシーンは見どころ。脇役陣では、鈴木瑞穂加藤嘉佐々木すみ江北林谷栄大滝秀治などが脇を固めている。
 
☆☆☆