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<span itemprop="headline">訃報:映画監督・新藤兼人、100歳で逝く。</span>


 
日本最高齢の映画監督、新藤兼人監督が5月29日、老衰のため死去した。4月22日で、100歳を迎えていた。
 
98歳で監督し、昨年公開された49作目の「一枚のハガキ」が遺作となった。映画館で見られなかったので、追悼企画で、テレビ放映されないか、待つことにする。
 

                 遺作となった「一枚のハガキ」
 
新藤監督は1934年に京都の新興キネマに入社。脚本の執筆を始めてからは溝口健二監督に師事した。第2次世界大戦中の44年に松竹大船撮影所脚本部に移籍後、海兵団に入隊。終戦後、脚本家としての道を歩み、「安城家の舞踏会」(47)、「わが生涯のかがやける日」(48)などを手掛ける。50年に松竹を退社し、吉村公三郎殿山泰司らとともに独立プロダクション「近代映画協会」を設立した。
 

後に妻となる女優の
乙羽信子が出演した「愛妻物語」(51)で監督デビューと言うから、監督歴はなんと、60年だった。
 
裸の島」(60)では、第2回モスクワ国際映画祭でグランプリを獲得したほか、世界の映画祭で高い評価を得た。その後も「裸の十九歳」(70)、「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」(75)、「墨東綺譚」(92)、「午後の遺言状」(95)といった名作を世に送り出した。
 
「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」の記事はこちら:
 

印象に残る映画としては「北斎漫画」がある。
田中裕子、緒形拳などが出演。タコが田中裕子の裸体にからみつくのだが、CMにも発展し「タコが言うのよ!」が流行語になったっけ。
 
 
96年に第14回川喜多賞、97年に文化功労者、02年には文化勲章を受章。豊川悦司大竹しのぶ出演、自らの戦争体験をもとに製作した「一枚のハガキ」(11)を最後に、引退を表明していた。
 
100歳という大往生だった。黒沢明監督より2歳若い世代。
外国の俳優だと、同じ1912年(明治45年・大正元年)生まれは、ミケランジェロ・アントニオーニ監督、ソフィア・ローレンのだんなで製作者のカルロ・ポンティイーストウッドの師匠で監督のドン・シーゲルなどがいる。バート・ランカスターは1年若い。
 
ご冥福を祈ります。
 
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