
映画「出来ごころ」(1933)を、江東シネマフェスティバルの会場ホールで見る(当日券一律1,000円)。松竹キネマ製作・配給。監督は小津安二郎。モノクロ、スタンダード、サイレント(弁士・音楽伴奏付き)、100分。
映画が音のない「活動写真」と言われた時代の映画を活弁士がスクリーンの横で登場人物のセリフを使いわけて声に出し、場面や状況を解説する語りが圧巻。
弁士がサイレント映画のセリフや情景描写を観客に伝える上映が少なくなっており、機会があれば見ることにしている。昨年は同じ企画でエルンスト・ルビッチ監督の無声映画「結婚哲学」(1929)を見た。
「出来ごころ」は、坂本武演じる喜八を主人公とした「喜八もの」の第1作。第10回キネマ旬報ベスト・テン第1位。のちの「寅さん」(男はつらいよ)シリーズの元祖ともいえる下町の人情喜劇。小津安二郎は「生まれてはみたけれど」(1932)「浮草物語」(1934)と3年連続「キネマ旬報」ベストテン1位を受賞。
東京の下町の長屋に住む気のいい親子を物語の軸に、彼らを取り巻く人々が織り成す人間模様を小津監督が人情味たっぷりに活写。

<あらすじ>
昭和初期の東京の下町。男やもめの喜八(坂本武)は、小学3年の息子・富夫(青木富夫)を育てつつ工場で働く冴えない中年男。
弟分の次郎(大日方傳)は元・戦友で、長屋の隣同士に住み職場も同じ長年の相棒だった。ある夜、仕事先をクビになり行き場のない若い娘・春江(伏見信子)に一目惚れして宿を世話する喜八。
”かあやん”ことおとめ(飯田蝶子)が営む一膳飯屋で働き始める春江。春江に熱を上げた喜八は飯屋に通いつめて酒を呑み、工場も欠勤する有様だった。
喜八には感謝しつつも、若く美男な次郎に気がある春江。しかし次郎のほうは冷たく彼女を拒む。
春江から相談を受けて、次郎との仲の取り持ちを喜八に依頼する“かあやん”。失恋の痛みを隠した喜八は次郎を説得するが、次郎は頑なに断り続けた。
息子の富夫が急病で入院した。無事に退院したが入院費が払えない喜八。
恩返しのために金を作ると言い出した春江が夜の商売に墜ちることを案じた次郎は、春江を想っていると打ち明けて引き止めた。次郎は、喜八の恋心を思い遣って春江を遠ざけていたのだ。
金を工面するために、北海道の漁師の募集に応じる次郎。
それを知った喜八は、春江に別れを告げる次郎を殴って気絶させ、代わりに北海道行きの船に乗った。しかし、船が千葉の銚子に差し掛かる前に息子が恋しくなった喜八は、海に飛び降り、泳いで戻り始めた。
・・・
映画では、教養も学も無く、息子・富夫の小学校の同級生の悪ガキどもからは「お前のとっつあん(父親、劇中では「ちゃん」)は仕事にも行かず、酒ばかり飲んで大バカだ」とバカにされる。
喜八も、富夫から教えられることも多い。「人の指はなぜ5本か?」「5本指の手袋が使えないからだ」や「海の水がしょっぱいのはシャケがいるからだ」など他愛のないものだった。
ヤケ酒に浸って仕事にも行かない喜八を、息子は父の顔を何度も両手で叩いてなじるシーンが延々が続く。富夫はある程度の額の小遣いをもらったが、それをすべて食べたいものに使ってしまい腹を壊して入院。訪問に来た担任からは「富夫は習字も一番の優秀な子だ。元気になる」と励まして帰る。
病気は回復したものの医者代が工面できない。その窮状を知った次郎が、北海道に行って「蟹工船」に乗り込み金を工面しようと考えるが、そのことを知った喜八は次郎を殴り倒して、代わりに自分が北海道行きの船に乗り込むといって船に向かう。
喜八は、銚子沖の当たりで、なんと「引き返す」と言って海に飛び込んでしまう。これまで、息子に対して、何もしてやれない自分に気付き反省して気持ちを入れ替えるのだった。
・・・
映画の技術が発達して音声が入るトーキーが普及し、さらに1931年以降の洋画に日本語字幕が入るようになると、次第に活動弁士は不要となり大半の活動弁士が廃業に追いこまれた。
現在では、活動弁士は数名と言われている。中でも中心的に活動しているのが澤登翠(さわとみどり)とその弟子たち。
現在でもサイレント映画を上映する映画館は少なからず存在し、その上映のために活動弁士も上映会場に駆け付ける。貴重なプロフェッショナルの存在だ。
「江東シネマフェスティバル」は13日、14日の2日間、江東区の古石場文化センターで開催中。ぴくちゃあさんが、会場の一角で、映画パンフを無料配布している。

fpdは「マラソンマン」「ロバート・デ・ニーロのミストレス」「身代金」のパンフを持ち帰った。
<小津安二郎・常設展示会場>


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