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映画「リヴァース・アングル:ニューヨークからの手紙」(ドイツ、1982、日本公開2024)を見る。

映画「リヴァース・アングル:ニューヨークからの手紙」(原題:Reverse Angle: Ein Brief aus New York、ドイツ、1982、日本公開2024)を見る。映画と言っても、物語はない。撮影日記のようなものだ。

1980年にヴィム・ヴェンダース(「パリ、テキサス」「PERFECT DAYS」)は、フランシス・フォード・コッポラに招かれ、コッポラの製作総指揮の下、ゾーエトロープ・スタジオで「ハメット」を撮った際の裏側をカメラに収めた「ただ映像を撮る」に徹した日記風のわずか17分のショートフイルムだ。

1982年3月にNY で撮影されたヴィム・ヴェンダースの日記映画シリーズの試作であるというナレーションで始まる。

ヴェンダースは、当時の妻イザベル・ヴェンガルテンとニューヨークに滞在し、3班に分かれて作業する編集スタッフと編集を行いながらアメリカでの映画製作を垣間見る。

コッポラとの製作中の様々な意見のやりとりや確執を乗り越えて映画を完成させる中、彼はその時に感じたことを込めた「ことの次第」(1982)を撮ったものだ。

ヴェンダースは様々な想いを抱えながら16㎜カメラを手にニューヨークの街をスケッチしていくが…。

・・・
コッポラの撮影に関するスタッフとの会話のやりとりなどがみられて価値があった。
印象的なセリフが出てきた。「映画がすべてじゃない」「ウインナーシュニツェルがすべてじゃない」(笑)。

このセリフは、 同じ論理・同じ感情の流れの中で使われる対句的な表現。
このセリフは、主人公(あるいは語り手)が、映画という夢や理想に囚われすぎていた自分を相対化するときに使っている。

人生は映画とイコールではない。映画に憧れ、映画のような人生を求めてきたが、現実にはもっと豊かで地味で、複雑なものがある。

言い換えれば、映画的な価値観から自由になるという自己解放の意味かもしれない。
「ウインナーシュニツェルがすべてじゃない」には笑ってしまう。ウインナーシュニツェルはオーストリアのウィーンを代表する子牛肉のカツレツのこと。

 ウインナーシュニツェル

ウインナーシュニツェルは一定の人々には絶対的においしいものと言えるもので、「映画がすべてじゃない」と同じ意味の表現。自分の好きなもの/こだわってきたものだけが人生の中心ではない、ということ。

長年慣れ親しんだ価値観・味覚・文化・生活習慣(例えば祖国の食べ物)に固執する必要はないのだということ。

これが絶対だというものが、実は人生のごく一部にすぎないのであり、人生には多くの新しい選択肢があり、異文化・新しい生活・他者との関わりは、自分を変えてくれるもの。

執着を手放し、人生を広く見ること、映画(夢など)に縛られないこと、ウインナーシュニツェルのような日常の価値観に縛られないこと…という作品全体のメッセージを象徴するセリフのようだ。

16mmカメラで撮影したオリジナルフィルムを2015年に4Kデジタルに修復している。

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