「サークル」(原題:Circle、2015)を見る。密室劇のスリラー・ホラー。エマ・ワトソン主演の「ザ・サークル」(2017)という映画もあり「ザ」のあるなしで紛らわしい。ワン・シチュエーション(舞台は、真っ暗な部屋だけ登場し、ラストで、ワンカットだけ外の景色が映し出される)による異色作。
50人の老若男女がふと目をさますと、ドーム状のものを中心にまわりに円を描くように立っている状況だった。そのドーム状のものにより、2分ごとに誰かが死んでいくというもので、その処刑する人間を投票で選べることに気付いた人々は、生き残りをかけて会話を重ね、知恵を振り絞るというストーリー。生き残るのは誰か。誰がこの“サークル”を操っているのか・・・。
ただ、エンディングは、あの悪名高き「ミスト」の最後のようで、後味が悪い。
極限状態で、自分だけは生き残りたいという心理描写などが浮き彫りにされるところは面白い。人間の存在価値は平等のはずだが、そこに、老人と若者、人種、妊婦、子供、ジェンダー、残された家族の有無などの「尺度」で、次に死ぬべき人間の選択投票がなされていくという恐怖。
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暗い部屋に数十名の人々が立ったまま眠っており、彼らの足元には赤いサークルがある。目を覚ました者の1人は、サークルから出たことで、黒い球体から発せられたビームで殺される。一瞬の出来事だ。
大きなサイレンが鳴り、全員が目を覚ます。彼らは手を動かすことで、誰かに投票できることに気づく。誰を投票したかは本人にしか見えず、投票された者はビームによって殺されるのだ。
一体どんな仕組みになっているのか。毎回1〜2分の間隔でカウントダウンの音が鳴り始め、自ら誰を殺すか選ばなければならないのだ。
ビームで死んだ者を次に選んだらどうかと実行しても、違う人が選ばれてしまう。投票しなければ、自動で誰かが選ばれてしまう。
混乱する人たちを見て、男子大学生は、次に死ぬのが誰かを考えるよりも、分析と対策に時間をかけるべきと提案する。
実社会でも、順番から言えば、年寄りが先に死ぬことから、男子大学生は数名の年配者を先に選ぶ。これで10分の時間稼ぎが出来ることになるが、年配者にしてみれば、たまったものではなく、平等に生きる権利を主張する。
参加している人たちの共通点はないのか。なぜ、ここに連れてこられたのか、皆が考える.どこかにヒントがあるはずだと模索が始まるのだが…。
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自分が先に死んでもいいという次の志願者がいないかが話し合われたり、妊婦はお腹の子と合わせて2人だから、ほかの人よりも長く生きるべきだとか、同性愛者(レズの参加者がいた)は罪が深いから先に死ぬべきだとか、また、仮に最後に子供と妊婦が残ったとしてもどちらかが死ぬことになるなど、議論が展開される。
再び誰が生きるべきが探ることになり、銀行員の男性は、無職のシングルマザーが、社会にとって重荷だと言い始める。それに加えて、自分は社会に貢献したと言い始めるのだ。
夫婦だと言っていたカップルの夫が、自分は死んでも妻を生かしたいと発言。ところが、本当の夫婦ではないと言うことが判明する。尋問した結果、妻は最初に言った夫の名前を言うことができず、嘘がバレてしまうのだ。
それにしても後味の悪い、考えさせられる映画だった。