Netflixのオリジナル・ドキュメンタリー・シリーズ「世界の”今”をダイジェスト」(シーズン3、2021)がタイムリーなテーマを取り上げて面白い。
謝罪、王室、犬、そして美容整形。幅広い分野にわたる興味深いトピックを、さまざまな有名人をナレーターに迎えて解説するドキュメンタリーシリーズ。
それぞれ20数分と短いので見やすい。
週1ペースで配信されているが、9月3日配信の「謝罪」を見た。
社会心理学者のカリーナ・シューマンによると「今は謝罪の時代です。ニュースを見るたびに、新しい謝罪が目に入る」という。政治家、セレブリティ(有名人)、政治まで過去の犯罪を謝罪する。ビル・クリントン元大統領は「私の行動に全ての責任がある」と謝罪した。
英語圏では、何千年もの間、謝罪といえば「神よ我が罪を許したまえ」という大いなる存在への謝罪だけだったという。
研究者によると、現存する古英語の書物に謝罪と呼べるものは見つからなかったといい、1590年代になりシェイクスピアの記した「リチャード三世」の中で「謝るには及ばない。許しを乞うのは私のほうだ」というのが最も古いとされる。
近年、謝罪が多過ぎることを心配する声もあり、人の心に響かないうわべだけの謝罪だけでは満足しない状況になりつつあり、心からの謝罪が求められているという。
最大の問題は、謝罪するときに、自己保身を混ぜ込んでしまうような謝罪があるということだという。
「謝罪」に関して基本的に大切なこととして1から7まで分類していた。
第1は、なにより「後悔の念を示すこと」(申し訳ない、ごめんなさい)。
第2は、被害を受けた人の痛みや苦しみを理解すること。
第3は責任を持つことを知らせる。
第4はなぜそうしたかの説明。
第5は和解(について話し合うこと)。
第6は自分が変わることを申し出る。
最後の第7は、「許しを乞う」というもの。
番組によると、1と3だけが多いという。
テレビを通じての会見など、公の場での謝罪は厄介で、大勢の人を満足させるのは難しいとも。最近はビデオやSNSでの謝罪もあるが、良い謝罪というのは対話が基本。会見で泣く人がいるが、自分までが被害者のように勘違いしているように映る。
人は、自分が状況の支配権を取り戻せると感じたり、状況が曖昧な時は、自分も被害者のように感じるというのだが、ここまで見てきて、あの池袋の車の暴走事故(車に故障があったと被告は主張)と重なった。
「自分の行動は正しいから謝罪しない」というのと同じで、自尊心の現れのようだ。被害者の残された家族は、妻子を奪った被告には心からの謝罪を求めていたのに、自分の主張を繰り返す被告。
裁判長が、謝罪の言葉は必要ですよと被告に諭すという異例の裁判だった。
自分の非を認めようとしない人間の多いことにはうんざりすることもある。あのカジノ誘致の賄賂で捕まったカジノ議員も、判決に不服で暴言を吐くなど腐った議員も多い。金メダルを噛んだ某市長も、周りがうるさいから、一応謝っておくか的な態度がありありだった。
考えさせられるドキュメンタリーだ。