「わが青春のフロレンス」(1970、イタリア)といえば、なんといってもオッタヴィア・ピッコロ。70年代の郷愁をそそる映画の1本だ(Gyaoで配信中)。オッタヴィアは「山猫」(1963)がデビュー作だったが、20歳で出演した「わが青春のフロレンス」の健気さ、いじらしさが印象に残る。監督は「愛すべき女・女(め・め)たち」のマウロ・ボロニーニ。
出演はマッシモ・ラニエリ、オッタヴィア・ピッコロ、フランク・ウォルフ。舞台は19世紀末から20世紀初頭。芸術の都から工業都市へ変貌しつつあるイタリア・フロレンス(現在のフィレンツェ)。そこに暮らす労働者達による世代を越えた階級闘争と、マッシモ・ラニエリ演じる無政府主義者の息子の恋愛遍歴が描かれる。
資本家の搾取に対して、最低限の生活のための賃上げ要求スト。スト中は給料が払われないため、資金を国中からの募金で賄う労働者たち。ストの長期化により募金も底をつくと、生活のために裏切る者(スト破り)が出てくるところがリアル。
幼いころに両親を失った若者が両親の故郷であるフロレンスに戻ってきたところから物語が始まり、父のかつての友人たちは、若者を労働闘争のリーダーに担ごうとする。彼もまた人々の期待に必死にこたえようとして、革命運動に取り組み、ひたむきに生きる姿を描く。
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生まれた時に母親が亡くなり、無政府主義者の父親に育てられた主人公メテロ(映画の原題:マッシモ・ラニエリ)は、水難事故で父を失ってから孤児となり、親戚一家に育てられる。メテロが17歳になったときに、一家がベルギーへ移住することになるが、メテロはそれを拒否し、両親の故郷フィレンツェでレンガ職人として働き始めることになる。
故郷の労働者たちは、メテロの息子ということで、彼を労働争議のリーダーに祭り上げ、資本家と闘うことになる。
メテロ自身も階級意識に目覚め、仲間たちの期待に応えようと懸命になり、活発に組合活動を行うが、たびたび警察にとらえられ投獄生活を送る。
そんな中、一人の労働者が腐った梯子から落ちる。その男は「娘を呼んでくれ。死んだら組合の旗と一緒に弔ってくれ」と言って亡くなってしまう。
その男の葬式の日メテロは亡くなった男の娘のエルシリア(オッタヴィア・ピッコロ)と会った。
世話になった父の礼を言う清楚な姿はメテロの心に刻まれた。清楚な彼女に心奪われ、獄中からの手紙で「釈放されたら結婚しよう」と約束する。エルシリアの父もまた闘士でありメテロの心情は痛いほど理解し、造花の内職をしながらひたすらメテロの帰りを待ち続ける。
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オッタヴィア・ピッコロは、健気な中にも力強さとたくましさを感じさせる。メテロは、両親の故郷フィレンツェでレンガ職人として働き始めるが、次第に労働者の権利に目覚め、ストライキの中心人物となっていく。
その間、未亡人ヴィオラ(ルチア・ボゼー)との恋、事故死した仲間の娘エルシリア(オッタヴィア・ピッコロ)との恋と結婚、隣家の婦人イディーナ(ティナ・オーモン)との浮気などが描かれる。
金持ちを鼻にかけた貧しいものを見下すイディーナの誘惑でメテロと関係を持っていることを知ったエルシリアがイディーナを家に呼びだして、平手打ちを食させるシーンは圧巻。
エンニオ・モリコーネの全編に流れる甘美な旋律がすばらしいが、静かなメロディーが一気に盛り上がりを見せる音楽もいい。オープニングは、セピア調の色彩。メテロが兵役中は、モノクロ。19世紀末から20世紀にかけてのフィレンツェ(フロレンス)の街並み、衣装などのカラーが印象的。
ラストでは、オッタヴィア・ピッコロは、ストに明け暮れ、亡くなっていった父親と夫メテロが同じような運命をたどるのではないかと不安が残るが、もう「塀の中には戻らない」という夫の言葉に安堵を覚えるのだった。
オッタヴィア・ピッコロは「山猫」「帰らざる夜明け」「アラン・ドロンのゾロ」などアラン・ドロンとの共演が多い。
■オッタヴィア・ピッコロの主演映画:
「山猫」(Il Gattopardo、1963)
「わが青春のフロレンス」(Metello、1970)
「愛すれど哀しく」(Bubu、1971)
「帰らざる夜明け」(La Veuve Couderc、1971)
「家庭教師」(La Cosa Buffa、1974)
「アラン・ドロンのゾロ」(Zorro、1975)
「パルムの僧院」(La Chatreuse de Parme、1977)
「ラ・ファミリア」(La Famiglia、1987)
「ファンタスティック・ロマンス」(Growing Up、1988)