「危険な情事」「ウォール街」のマイケル・ダグラス(75)と「暗くなるまで待って」「キャッチ22」「愛すれど心さびしく」のアラン・アーキン(85)が主演のNetflixドラマ「コミンスキー・メソッド」(2020)に、かつて一世を風靡した俳優・女優が多数出演していた。
このドラマで、アラン・アーキンの孫として登場した人物がいた。
恰幅のいい、髭面のこの人物(33)は、口八丁手八丁で、祖父(アラン・アーキン)の遺産を狙う、詐欺まがいのビジネスで生計を立てている人物。アラン・アーキンは、遺言書で、遺産相続の執行人を50年来の親友マイケル・ダグラスに任せていた。祖父の死を知って何十年も疎遠だった孫が、訪ねてきて、遺産配分について言葉巧みにダグラスに迫ったが…。
この人物が、天才子役といわれ11歳の時に「シックス・センス」(1999)でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされたハーレイ・ジョエル・オスメントだ!
オスメントは、このあと15歳の時に「ウォルター少年と、夏の休日」(2003)などに出演。マイケル・ケイン、ロバート・デュヴァルといった大ベテラン俳優との共演が楽しかった。
映画「ウォルター少年と、夏の休日」(1999)。 - fpdの映画スクラップ貼
このオスメントもびっくりだが、その100倍も驚いたのがもう一人の女優だった。「コスミンスキー・メソッド」で、マイケル・ダグラスの元妻を演じた女優だ。
この恰幅のいいおばちゃんは誰?(笑⇒泣)。
デビュー作の「白いドレスの女」(1981)で愛人と共謀して夫を殺す悪女を演じたキャスリーン・ターナーだ👀。
あのキャスリーン・ターナーはどこへ行った?(笑)。いっぺんにこうなったわけではない。徐々に変化して行った、その兆しは大いにあった。
「ロマンシング・ストーン」(1984)や「ペギー・ス―の結婚」(1986)あたりまでは、まだ見られた(笑)。もっとも、「ペギー・スーの結婚」で、当時32歳のキャスリーン・ターナーが、高校生時代にタイムスリップして高校生を演じるのには、米倉涼子のドラマ「35歳の高校生」以上に、無理があった。
マイケル・ダグラスと夫婦役を演じた「ローズ家の戦争」(1989)では、完全に逆DVで、モノを投げるわ、夫にパンチを浴びせるわで、暴力妻に変貌。
そして、極めつけは、殺人鬼母を演じた「シリアル・ママ」(1994)だ。こうした変遷を見てくると、キャスリーン・ターナーの風貌の変化だけでなく、声質までが、低音の男のような声だったのも、やや納得。
キャスリーン・ターナーは80年代では好きな女優の一人だった。ブロードウエイの舞台版「熱いトタン屋根の猫」(1990)を見た時は、すらりとして舞台映えのする女優だと思った。
「コミンスキー・メソッド」の映像は忘れよう(笑)。