1971年に日本のスクリーンに初めて登場した女優ドミニク・サンダ。映画は「悲しみの青春」。この映画の前にデビュー作「やさしい女」(1968)「暗殺の森」(1970)「初恋」(1970)があるが、公開は「悲しみの青春」が先だった。
2014年には「シネマ365日」でドミニク・サンダ特集が組まれた。
「ひまわり」(1970)のヴィットリオ・デ・シーカ監督が「ひまわり」のあと、短編(オムニバス映画の1編)を撮ったあとの作品が「悲しみの青春」だった。原題は「コンティ―二家の庭(Il Giardino dei Finzi Contini)」。
北イタリアの広大なコンティ―二家の屋敷に集まってテニスを楽しんでいたユダヤ人の若者たちが、迫りくるナチスの足音で、やがてガス室へ送られるという悲劇を描いている。アカデミー賞外国語映画賞を受賞した。
ドミニク・サンダは、コンティ―二家の令嬢で、妖精のような美貌だった。この映画以降、ドミニク・サンダは「刑事キャレラ10+1の追撃」(1972)「マッキントッシュの男」(1972)「家族の肖像」(1974)などに出演。「マッキントッシュの男」ではポール・ニューマンと共演。
日本では、映画雑誌「スクリーン」や「ロードショー」の表紙を飾ることになる。1977年には「PARCO」のCMにも出演した。
1948年3月11日生まれで、明日が誕生日。一部のネットでは1951年生まれという表記があるが間違い。「3.11」というのは、日本にとっては大きな一日。東日本大震災の、あの日からちょうど10年となる。
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大きな瞳に、強い意思も感じさせる。
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