「しなの川」(1973)を見た。監督は、この翌年に「砂の器」を発表することになる野村芳太郎。撮影は川俣昂。主演は同年4月に公開された「同棲時代―今日子と次郎―」の由美かおる。「しなの川」では、由美かおるの美しい和服姿と大胆なオールヌードが当時話題になった。
由美かおるは、身長157センチと背が高いわけではないが、すらりとしたプロポーションの裸体を見せている。
10代前半で「西野バレエ団」にはいり、1967年には、テレビの音楽番組で、金井克子、奈美悦子らと歌って踊り人気を博した。
女優としては、1973年の映画「同棲時代-今日子と次郎-」で初ヌードを披露、同年11月に映画「しなの川」、1974年に「ノストラダムスの大予言」「エスパイ」、1976年の「超高層ホテル殺人事件」でもヌードを披露。
同年東映の大ヒット映画「トラック野郎シリーズ」4作目「トラック野郎・天下御免」のマドンナ役で出演、同時に「夜のひとりごと」が挿入歌として使用された。
1986年から、人気時代劇「水戸黄門」に「かげろうお銀」役でレギュラー出演。番組内の入浴シーンが話題となった。
「しなの川」では、主題歌「しなの川〜雪のさだめ」を歌っている。
高校教師役の岡田裕介は、1970年代は俳優だったが、現在は「東映」会長。父親の岡田茂は、元・東映社長・会長。岡田裕介が俳優になるきっかけとなったのは、プロデューサーが、学生の岡田裕介の横顔を見て、石坂浩二と間違えたのだという。「四丁目」のギドラさんは自身について「若いころは岡田裕介にそっくりだった」という(本人の弁:実際にブログでの写真を見ると確かに。笑)。ギドラさんからいただいたBD(ブルーレイ)で見た。
おっと脱線。
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昭和3年、信濃川上流の山間集落に小作人の倅として育った朝田竜吉(仲雅美)は、十日町の高野家に丁稚奉公することになった。17歳の時だった。気苦労の多い丁稚生活の中で、竜吉の安らぎは、高野家の一人娘で女学校三年の雪絵(由美かおる)の美しい存在だった。
ある日、雪絵は母が13年前、番頭と駆落ちしたということを知った。問いつめても黙っている父・淳三郎(仲谷昇)に業を煮やした雪絵は、衝動的に竜吉を土蔵に引き入れ激しいキスを交わした。
番頭の辰之助の進言で、雪絵は長岡の女学校に転校することになった。雪絵は出発前に自分のすべてを竜吉に与えようとして二人は土蔵に入った、
が、一足先に土蔵に入った竜吉は、中で雪絵の父と辰之助が男同志で抱き合っている姿を見た。雪絵が入ろうとするのを止めた竜吉は、雪絵には口が裂けても、このことは言うまいと誓うのだった。
昭和5年、転校した雪絵は、情熱的な左翼シンパの国語教師・沖島雄介(岡田裕介)に急速に接近した。校長に呼び出された父は、雪絵を十日町へ連れ帰った。
沖島は、結婚を申し込みに十日町まで来たが、父は即座に拒否した。沖島と雪絵は駆落ちした。その二人の姿を遠くで見ていた竜吉は、雪絵との思い出の写真を信濃川に捨てた。
沖島と雪絵は刑事に捕わり、沖島は父のいる伊豆へ、雪絵は十日町へと強引に帰らせられた。途中、再び逃げた雪絵は伊豆へ行った。激情の中で抱き合う二人、雪絵は処女を捧げた。
しかし、雪絵は何故か、沖島から離れて行く自分を感じていた。何事もなかったかのように十日町に帰って来た雪絵は、高野家が金融恐慌のため莫大な借金を背負っていることを知った。
夏祭りの夜、雪絵と竜吉は再会した。「死にたい」雪絵が呟いた。「お嬢さんが死ぬなら私も死にます…」雪絵の頬に涙が流れ、二人は信濃川に身を投げた。が、幸か不幸か助けられた…。雪絵の青春は終りかけていた。塩沢の大きな買いつぎ店に政略結婚同様に嫁いだ。彼女の花嫁行列を、じっと見送る一人の青年がいた。単身満州へ渡ろうとする旅姿の竜吉だった(MovieWalker)。
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映画は、最初から最後まで、由美かおるのための映画。由美かおるは、キュートで、プロポーションも15歳当時と今も変わらないという。