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★訃報:俳優・渡哲也(石原軍団の長)、逝く。78歳。

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突然の訃報が飛び込んできた。

俳優の渡哲也が8月10日午後6時30分に肺炎のため死去した。78歳だった。所属事務所の石原プロモーションが14日、発表した。呼吸器疾患で療養中だった。またまた昭和の大スターが1人、息を引き取った。

1941年12月28日、島根県安来町(現・安来市)で生まれ、兵庫県淡路町で育った。高校卒業後に上京し、進学した青山学院大では空手道部に在籍。  

航空整備士を志望していたが、故・石原裕次郎に憧れ、一目会いたいと訪れた日活撮影所でスカウトされ、1964年に日活入社。翌1965年に映画「あばれ騎士道」で主演デビュー。

1968年に第1作が公開された「無頼」シリーズは最初の代表作となったが、1971年に日活を退社。石原裕次郎を慕って石原プロモーションに入社。  

1973年には歌手として「くちなしの花」を発表。約150万枚を売り上げる大ヒット曲となり、翌年のNHK紅白歌合戦にも出場した。  

華々しい活躍の陰で、病と闘い続けた生涯でもあった。1974年のNHK大河ドラマ勝海舟」は肋膜炎のため途中降板。1975年の映画「大脱獄」は高倉健菅原文太との共演が決まっていたが、体調不良のため実現しなかった。

1991年には直腸がんも患った。  

1976年からはテレビドラマにも本格進出。同年開始の主演作「大都会」シリーズ、1979年オンエア・スタートの「西部警察」はサングラスの似合うダンディーな姿が国民的な人気を呼んだ。

1987年に石原裕次郎が52歳の若さで死去した後、後継の社長に就任。2011年に退任するまで、弟分の舘ひろしとともに若手の「石原軍団」育成。

2015年6月、急性心筋梗塞で緊急入院。約1か月後に退院、リハビリを続け、11月には仕事復帰を果たした。  

最後の仕事は2020年6月に行われた宝酒造の日本酒「松竹梅」の50周年を記念した新CM「よろこびをお伝えして50年~幻の共演~」編にナレーションで出演。

2021年1月16日の石原プロ解散を踏まえ、32年間続けたCMを勇退石原裕次郎とテレビCM“初共演”で有終の美を飾っていた。  

石原プロ解散に関して、役目を終えて一安心した様子だったという。唯一の無念は、石原プロの最後を見届けられなかったことだろう。

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テレビドラマ「西部警察」や映画「東京流れ者」、映画で10本もの共演作がある吉永小百合との「松竹梅」のCMなどのほか、歌手としての「くちなしの花」の大ヒットなどが印象に残る。

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ご冥福をお祈りいたします。