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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「母」(1926、ソビエト)を見た。ソ連映画界の巨匠の一人、プドフキン監督。

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ソビエト映画「母」(1926)を見た。監督は「アジアの嵐」のフセヴォロド・プドフキンプドフキンは、セルゲイ・エイゼンシュテインアレクサンドル・ドヴジェンコと並んでソ連映画界の創世記活躍した巨匠の一人。無声映画、96分。

帝政ロシアの圧政の下で革命の一翼を担ったひとりの母の人間的成長とその革命を描いた作品。1969年にモス・フィルムによってサウンド版が製作された。

原作はマクシム・ゴーリキーの同名小説。出演はヴェラ・バラノフスカヤニコライ・バターロフアレクサンドル・チスチャコフアンナ・ゼムツォワなど、プドフキンも警官役で出演している。ポスターとタイトルだけは知っていたが、エイゼンシュテインを見たなら、プドフキンもぜひとたっふぃーさんが勧めていたので見た(YouTubeの英語字幕で)。

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1905年。20世紀初めの帝政ロシア。金属工のウラーソフ(A・チスチャコフ)は毎日、居酒屋で労働の疲れとウサ晴らしに飲んだくれていた。

妻のペラゲーヤ(V・バラノフスカヤ)は夫にどなられ、ぶたれ、貧しさと惨めさに打ちひしがれて生きていた。

息子パーベル(N・バターロフ)は恋人アンナ(A・ゼムツォワ)等と地下運動に挺身していた。

ある夜、居酒屋で父は、スト破りの相談をしていた右翼暴力団に目をつけられて、スト破りに誘われる。同じ夜、アンナはパーベルの所に武器の入った包みを預けにきた。

母は眠ったふりをし、息子が包みを床下に隠すのを見た。翌朝、パーベル等はストライキを呼びかけるため工場に行ったところをスト破りに包囲され、乱闘となる。

そして、その乱闘に加わっていた父はピストルで射たれ死んでしまう。母は悲しんで、息子に危険な事はやめてくれと頼む。そこへ軍隊がやって来た。「武器のありかを白状すれば許す」と言う言葉に母は床下に隠してあった武器を出す。

しかしパーベルは逮捕され、裁判が開かれ、懲役刑が言い渡された。「真実はどこ!」--母の悲痛な叫びが法廷に響くのだった。

母は悲しみから驚きへ、驚きから怒りへと目覚め一歩一歩、息子と同じ戦列へ進んでいく。獄中の息子に会い、小さく丸めたメモを手渡す。息子は微笑みかけた。メモは5月1日の脱獄計画が書かれていた。

その日は街の隅々から労働者たちが、まるで雪どけの小さな流れが大きな流氷の河に流れ込むようにデモの隊列に加わっていった。

もちろん、母もいた。赤旗が翻った。囚人達も呼応した。多くの囚人が射殺されたが、パーベルは河の流氷づたいに脱出した。

パーベルがデモ隊に合流し、母と抱き合って再会を喜んだ瞬間、騎兵隊の一斉射撃が息子を射ち殺した。母は投げ出された赤旗を持ち、襲いかかる騎兵隊の前に立ちはだかる。しかし、騎兵の剣が一閃し、母は殺された。だが、氷を押し流す激流のように再度、赤旗はロシアに翻るであろう(MovieWalker)。

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1920年代のソビエトソ連)の映画は、国家権力としての警察隊と労働者の争いを描いた映画が多い。冒頭から引き込まれる。疲れてやつれた表情の「母」。労働者で死んだように眠る「息子」。ひげボウボウで柱時計を、質入れしようとするのか取り外そうとする「父」。時計を外そうとする父を止める母を殴ろうとする父。気づいた息子が、ハンマーを持って「母に触るな!」と叫ぶ。

場面は一転して、仕事のあとの休憩のシーン。アコーデオンの音楽のなか、賭け事(ブラック・ハンドレッド)に興じる労働者。魚の尻尾をかじる男。食べ物にも困った状況で、明日はストライキを見せてやろうと奇声を上げる労働者。

息子が銃を盗み隠したとの容疑で逮捕されるが、その裁判のシーンは、まるで茶番劇。判事の一人は、「馬」の絵を書いていたり、ある者はコップ酒を飲んだり・・・。

傍聴席の優雅な婦人は、「チャーミングな判事ね」などと笑みを浮かべている。そんな中、息子である被告の母は、厳しい表情で裁判を見守る。懲役刑(終身刑?)の判決に、怒りで涙が溢れ出す。目の演技、目と目の対決のようなシーン。

 

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映像的にも見るべきところが多い。

床に隠された銃の床のシーンと、床が外されて銃が見えるシーンとイメージ画像のように交互に映し出されるのだ。圧巻のシーンは、氷河が溶けて、濁流となって流れるシーン。これが労働者のデモと重なって映し出される。

外界では、春。赤ん坊の笑う表情。労働者のデモ行進。警察騎馬隊の一斉砲撃。氷山のかけらが、雪解けとなって海へ流れ込む。時代の大きなうねりを活写したような映画だった。