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★日台合作ドラマ「路(ルウ)~台湾エクスプレス」(第2話)見る。

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日本・台湾共同制作のドラマ「路(ルウ)~台湾エクスプレス」がNHKで放送されている。全3話。第1話を見逃し配信で見たあと、昨日第2話を見た。台北に行ったことのある人なら、必ず立ち寄る飲み屋歓楽街の「林森北路(りんせんぺいるー)」のキャバクラ、スナックが登場して懐かしい(笑)。

原作は、映画化された話題作「悪人」「横道世之介」などの吉田修一。1999年から2007年、台湾新幹線の着工から開業するまでの巨大プロジェクトと、日本と台湾の間に育まれた個人の絆を、台湾の季節感や匂いとともに色鮮やかに描く感動作。 

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1999年、台湾~高雄間の台湾高速鉄道を日本の新幹線が走ることになった。台湾新幹線開発事業部に勤務する多田春香(波留)は、台湾新幹線プロジェクトのリーダー・山尾(寺脇康文)から正式に台湾出向を命じられた。春香には大学時代に初めて台湾を訪れた6年前の夏、エリック(炎亞綸:アーロン)という英語名の台湾人青年とたった一日だけすごし、その後連絡がとれなくなってしまった彼との運命のような思い出があった。

 

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台湾の台北ー高雄を結ぶ台湾高速鉄道の入札が行われたが、日本は欧州連合に敗北。しかしあくまで優先権が与えられたにすぎず、日本はわずかな可能性にかけて再度チャレンジ。

そして、2年後の1999年、日本は台湾新幹線受注を勝ち取ることに成功した。

大井物産の多田春香は、入社4年目にして台湾新幹線のために台湾に行かないかと打診を受ける。その打診を受けた時に、春香は動揺し、迷った。恋人の池上繁之に相談すると、繁之は東京から大阪に転勤辞令が出たところであり、春香の迷いを打ち消すように「台湾に行くべきだ」と背中を押す。条件がひとつあるという。それは(将来)結婚して欲しい、というものだった。

春香は台湾に新幹線を走らせたいという情熱を胸に、恋人の池上繁之を日本に残して台湾に旅立つことになった。台湾で新幹線を走らせたいという気持ちは事実だが、春香には別の隠された思いがあった。

それは8年前にさかのぼる。春香が大学2年生の時に一人で台湾を訪れ、英語名でエリックという大学生と偶然知り合いになり、二人はお互いを意識し、再会を約束して別れたのだった。

たった半日しか一緒にいる時間がなかったが、不慣れな台湾で、親切にされ食事をしたり、楽しく過ごす時間を持った。エリックから、連絡してと連絡先のメモを受け取るが、春香は彼の連絡先をなくしてしまい、今に至るまでエリックの消息を知ることはなかった。台中の出身、設計の仕事をしている技術者という以外の知識がなく・・・。

阪神淡路大震災(1995年)には、エリックは、春香の出身地、神戸を訪れ春香の消息を追い、一方の春香も台中地震(1999年)の際には、春香がエリックの地元である台中の地震の瓦礫の山の場所を訪れていた。

台湾に来ればエリックにもう一度会えるのではと淡い期待を抱いていると、現地のスタッフを通じてエリックと思われる人物の存在を知り、そこから何年も経て、ついに再会を果たすことになる。

エリックから、「つきあってほしい」といわれる春香だったが、春香は婚約したので会えないと告げるのだった。

 

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日清戦争の結果、下関条約により台湾が清朝が(当時の中国)から日本に割譲された1895年(明治28年)4月17日から、第二次世界大戦終結して日本の降伏後、中華民国政府により台湾の管轄権行使が開始される1945年(昭和20年)10月25日までの時代は、台湾は日本統治時代だった。

ドラマでは、湾生(わんせい)とよばれる台湾生まれの日本人で日本に引き上げた老人の現在も描かれる。台湾の高校時代の親友との数十年ぶりの再会もドラマチックに描かれている。

日本が台湾新幹線の受注には成功したものの、実際に事業を推進する主体者は「台湾高速鉄道」(略称:台湾高鉄)。台湾高鉄では、世界の技術を集結して「台湾オリジナル」の新幹線を作り出したいというのが願望だった。かつての日本がアメリカのコピーで、独自の製品を作り上げてきたように、台湾も日本のコピーで独自製品(IT製品など)を作り、20年におよぶ「台湾の奇跡」を生んだ。

新幹線も例外ではなく、日本の新幹線のすべてをコピーするのではなく「台湾オリジナル」にこだわり、日本のスタッフとしばしば衝突する姿が描かれる。例えば、運転・車掌室の窓の問題だ。日本は、安全確認は、車掌にとっても必要ということで、窓の取り付けが必要と主張するが、台湾高鉄側は不要と突っぱねる。安全確認は、駅員の仕事だというのだ。価値観の相違と突っぱねるのだが・・・。

こうしたいくつかの複数のストーリーが同時並行で描かれるが、最終話の第3話(5月30日)放送では、すべてがつながってくるという。楽しみ。

蛇足だが、台湾新幹線は、2007年1月に正式に開通したが、その数ヵ月後、台湾新幹線に乗る機会があった。台北から台中までは、現地のスタッフと車で移動して2時間以上かかったが、台湾新幹線では3-40分で移動できるようになった。

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