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映画「アレクサンドル・ネフスキー」(1939、日本公開1962年)を見た。エイゼンシュテイン初のトーキー。

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アレクサンドル・ネフスキー」(1939、日本公開1962年)を見た。「今頃見た」シリーズ?。13世紀に実在したロシアの英雄アレクサンドル・ネフスキー公の半生を描いた伝記ドラマ。「戦艦ポチョムキン」のセルゲイ・M・エイゼンシュテインの初のトーキー映画。作曲家セルゲイ・プロコーフィェフの協力を得て、自らの「視聴覚のモンタージュ」を実践。チュード湖上の“氷上の戦い”のシーンはその典型例で、音楽は運動会の行進曲を想わせるほどコミカル。ゲルマン兵のバケツのようなヘルメットや鎧を薙ぎ倒すロシア兵士の勇ましさ。

映画の製作当時、西側からソビエトに重圧を加えていたナチをゲルマンになぞらえて描いたともいわれる歴史映画。

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(ストーリー)

広大な国土と豊富な資源に恵まれているロシアは、東方からは蒙古、西方からは北欧諸民族の征服の野望の的となっていた。1240年、スウェーデン軍はロシア侵攻を開始したが、ノブゴロド公アレクサンドル・ヤロスラーウィッチは、ネバ河畔に敵の大群を迎え撃ち、激戦の後にこれを粉砕して祖国防衛の勇名を内外に轟かせたので、ネバ河の名をとったネフスキーの称号を与えられた。

ロシアには平和が甦ったがネフスキーはノブゴロドの貴族たちと相いれず、町を去ってプレシチェボ湖畔に居を構えて海外との交易による祖国の繁栄を夢みていた。

その頃、東方の強敵ゲルマンは戦勝を祈願する僧侶の一団とともに強力な大軍を率いてロシア進攻を開始した。プスコフの町はゲルマン軍の手におちた。祖国を憂える人々は勇将ネフスキー公を指揮官に迎えて決戦に臨み、ゲルマン軍との取引に私利を貪ろうとする商人は戦に反対した。

町の広場に激論が果しなく続いたが、愛国の戦士ダマシたちの情熱が商人達の計算にうちかった。烈々たる闘志に動かされたネフスキー公は立ち上った。

農民達は手に手に武器をとり、公の両腕ともいえるブスライ(ニコライ・T・オフロプコフ)とガブリロ、二人のうち大きい武勲をたてた方の妻になるという美しい娘オリガ、老武器商イグナート、司令官の父を失った娘ワシリサなども参加した。

1242年4月5日、一面の氷に覆れているチュドスコエ湖を決戦場に定め、ネフスキー公の率いる主力部隊とガブリロの率いる左翼隊とが一気に左右からの包囲攻撃を開始した。

奇襲に不意をつかれたゲルマン軍はみるみる戦力を乱した。ネフスキー公はゲルマンの司令官に一騎打を挑み、壮烈な馬上戦の後、凱歌はネフスキー公に上った。

 

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映画の前半で、残酷なシーンもある。小さい子供が次々に火の中に投げられるのだ。また、反逆するものは手を縛られ、何人もの兵から刀で刺される。

映画ではアレクサンドル=ネフスキーはロシア民族を救った救国の英雄とされているが、モンゴル軍からロシアを救ったからではなく、スウェーデンとドイツとの戦いで勝利したからだ。ナチス=ドイツとの戦争が迫ると、スターリン民族意識を高揚させるため、アレクサンドル=ネフスキーを古代の英雄アレクサンドロス大王にも匹敵するような人物として映画を作らせた。それを監督したのがエイゼンシュテインだった。

 ■監督・脚本:セルゲイ・エイゼンシュテイン ■脚本:ピョートル・パヴレンコ ■撮影:エドゥアルド・ティッセ ■美術:イサク・シピネリ/ニコライ・ソロヴィヨフ ■音楽:セルゲイ・プロコーフィエフ

■出演 ニコライ・チェルカーソフ/ニコライ・オフロプコフ/アレクサンドル・アブリコーソフ/ドミトリー・オルロフ/ワシーリー・ノヴィコフ/ヴェラ・イワシェワ/アンナ・ダニーロ

 

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