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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

★8月下旬に高校同窓会。初参加、半世紀ぶり。

高校の同窓会の案内が届いた。

高校の同窓会には参加したことがなかった。振り返ると高校こそがもっとも”同じ釜の飯”仲間が多くいて、質実剛健の男子校、青春だったのだが・・・。
 
高校の同窓会は開催していないのかと思っていた。ところがそうではなかった。こちらの住所が「宛先不明」で幹事らに掌握されていなかったのだ。現在の”終の棲家”の住所に落ち着くまで、これまで11回引越しをしてきたので(笑)。
 
今でも年賀状のやり取りがある高校の友人の一人から「fpdが”あて所に尋ねあたりません」のリストに入っていたので、幹事に住所を伝えておいたという手紙が届いた。ありがたいことだ。後で知ったが、fpd以外にも住所不明が17、8人いた(笑)。
 
それから2,3日して、幹事から案内が届いたというわけだ。
文面によると、クラスの同窓会(2クラス合同)は、2005年と2011年に開催したとのこと。
 
同学年には約55人のクラスが9クラスあった。
実業高校(当時は男子校で、その後共学になった)であったが、9クラス中、2クラスが高2から進学クラスに分かれた。同窓会は、進学クラスの2クラス合同というわけだ。約110人は、在学当時は名前と顔は全てわかるほどだった。
 
高校卒業後にも交流があるのは数人以上いた。
小中高と同じ仲間も数人いる。何人かは小学校の同窓会で顔を合わせた。
 
今回の案内には、丁寧なことに、数十年ぶりといいうこともあって、高校時代の卒業アルバムの顔写真と、2005年の参加者約20数名と担任教師2人の顔写真、2011年の集合写真などもあった。すっかり変わった人もいるが、面影そのままもいて、すぐわかる者もいた。
 
・・・
8月某日に、深谷駅前の埼玉グランドホテルにて。会費は10,000円。渋沢栄一の新札はまだ数年先だが・・・。
 
今年は4月に小学校の同窓会に参加。約30年ぶりだった。田舎の幼友達ばかりで,気楽に飲んで食べた。
 
大学の同窓会というのは、大きな同窓会が「卒業25周年」「卒業50年」というのがある。25周年の時には、大学キャンパスで大掛かりに行われ参加した。お祭りのようなものだった。47歳の時だった。驚いたのは、同じ年次の卒業生○万人、亡くなった人○千人とあったことだ。40代で数%が亡くなっていた。
 
次の数年後の「50周年」には元気に参加したいものだが・・・。
  
同窓会は楽しみ。