「フェリーニのアマルコルド」(原題:AMARCORD,1974)を4k版で再見した。
イタリア、フランス合作。「道」「カビリアの夜」「8 1/2」に続きこの映画で4度目のアカデミー賞外国映画賞を受賞。映画は一度見ていたはずだが、睡魔に襲われたのか、大女が出ていたことくらいしか覚えていなかった。
1930年代を舞台に フェデリコ・フェリーニ自身にとって生涯忘れ得ぬ一年間の物語。「アマルコルド」というのはフェリーニの故郷である北部イタリアのリミニ地方の言葉で、死語になっている“エム・エルコルド”(=私は覚えている)という言葉がなまったもの。製作はフランコ・クリスタルディ、監督は「甘い生活」「8 1/2」「サテリコン」のイタリアの巨匠 フェデリコ・フェリーニ。
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1930年代のイタリアの港町。
綿毛が飛び交う“春一番”の吹いた日の夜、北部イタリアの小さな港町では町中の人々が広場に集い、うず高く積み上げられたガラクタの上に冬の女神の人形をかかげて火をつけ、訪れる春を祝って歌い踊り、騒ぎ明かしていた。
若者たちは媚(こび)をふりまく娘たちをひやかし、大人たちは酒をくみかわす。
チッタの憧れの年上の娘グラデスカ(マガリ・ノエル)もいる。そんな楽しい春を迎える祭りが終わるとやがて夏がやって来る。
町中の人たちが数十隻の小船にのり込み小型船団を組むと海へと乗り出す。
沖合を通るイタリアの豪華定期船「レックス号」の晴れの姿を一目見ようと、町長以下の総出で祝福の船団を組んだのだ。
霧深い沖合いを煌々たる明りに彩られてやってきた巨大な船を見ると人々は歓声を上げた。中には船を見て涙するものもいた。レックス号の勇姿はイタリアの誇りであると同時に、この小さな港町の人々にとっても誇りだった。
そんな世相とは関係なく、季節は変わり、秋になる。
チッタの一家は、精神病院に入れられていたおじいさんを迎えに行くことになった。医者は大分よくなったというのだが、車で遠出した時に車を止めて用を足すというのだが、ズボンの前を開けずに放尿したり、大きな木に登って“女が欲しい”と叫んだりして再び病院に連れ戻された。
病院を出たところで精神障害者のおじいちゃんの望みは叶うはずもないからだ。
同時にチッタは何かわりきれないものを感じていた。人間の根本的な欲望は誰だって変わりはしないはずなのだ。
一方、チッタのグラデスカに対する想いは日に日につのるばかりだ。
映画館で思い切ってアプローチしてみたが、まだ子供と思われてか全然相手にされない。一方、白鯨のような巨大な体躯のタバコ屋のおばさん(M・A・ベリッツィ)に弄(もてあそばれ)てしまう。
そして冬が来た。降り続いていた記録的な大雪がカラリと晴れあがった日、
だがイタリアでは孔雀は不幸の前兆であると信じられていた。
その冬、チッタの母は病気をこじらせてこの世を去った。
そしてチッタの悲しみもようやく癒えた頃、“春一番”の吹く野原では、町中の人々に祝福されてグラデスカの結婚式が行われた。
彼は自分にとって最も大切な二人の女性を失うという生涯忘れ得ぬ一年だった。
誰もが一度は通らなくてはならないさまざまな人生の別れを体験しながら、少年チッタはやがて来る激動の青春期への旅立ちを、漠然とした意識の底にではあるが確実な手応えとして感じていた(MovieWalker)。
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少年たちの前で、数人の女性たちが自転車に腰を掛けるシーンがあるが、そのお尻の大きさは圧倒する。タバコ屋のおばさんは、これでもかというくらい大きなバストで、風貌は、大阪を代表する某ローカルタレントに似ている(笑)。
少年の頃、自身が見た大人の女性はみな大柄で、胸とお尻が大きいという印象だったようだ(笑)。たしかに、フェリーニの映画には巨乳巨尻の女性が多く出てきて「フェリーニ的」画面を構成すると言われる。また、猥雑な女たちの娼館や道化師のサーカスなどはフェリーニのお得意素材だ。
今回見たのは4K版。「フェリーニのアマルコルド」の修復プロジェクトがあり、映画保存のための団体、チネテカ・ディ・ボローニャを筆頭に、同作の製作に携わったコムーネ・ディ・リミニ、配給元のワーナー・ブラザース、オンラインストアのユークス・ドットコムなどのバックアップによって進められ、修復はイタリアのリマージネ・リトロヴァータ研究所が担当。修復版は2015年秋の第72回ヴェネツィア国際映画祭にて上映された。
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