「風と共に去りぬ」(原題: Gone with the Wind、1939)を40数年ぶりに再見した。ことし映画製作80周年となる。監督はヴィクター・フレミング。主演はヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブル。
題名は南北戦争という「風」と共に、当時絶頂にあったアメリカ南部白人たちの貴族文化社会が消え「去った」事を意味する。 アイルランドにあった土地タラにちなんで、ジョージア州にアイルランドから移民としてやってきたオハラ家の土地も象徴的にタラと呼ばれていた。
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「風と共に去りぬ」を初めてみたのは1970年代初頭。
東銀座にあった「松竹セントラル」だった。斜向かいには「東劇」があった。
映画はリバイバルで、座席は最前列しか空いていなかった。そのため、70ミリ大画面を見るのに、足を伸ばすことはできたが、座席の背もたれに寝そべるように上を見上げる格好で見たので、見にくかった。首が疲れたのを覚えている。いくら名作に進路を取っても、状況によっては、100%映画の価値を味わえないこともある(笑)。
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多くの農場経営者は、資金面では北部の資本に依存していた。また綿花などの産物も、多くは北部の工場で加工されていた。経済的に北部が南部を支配する中で、貴重な労働資源である黒人奴隷の人権問題がクローズアップされたことに南部は反発することになる。
映画が南部の視点で描かれる。
北軍はヤンキーと呼ばれ、南部が滅びていく姿が描かれる。
映画の前半では、南北戦争に負け、食べ物も衣類も希望をすべて奪われた何部の土地で、それまでは大地主の令嬢だったスカーレット・オハラは絶望を知る。畑の人参をそのまま食べようとして泣き伏すシーンがあるが、二度と飢えに泣かないと誓う。
レットと結婚したスカーレットだったが、一人娘のボニーを失くす。
レットはスカーレットに言う。「今にして思えばすれ違いばかりだ。でももう遅い。ボニーさえいてくれたら、出直せたかもしれん。ボニーはオレの支えだった。(中略)でもあの娘は逝ってしまった。ハンカチをくれてやる。まさか君(スカーレット)がハンカチを使うとは夢にも思わなかったがな。あわれな女だな」と捨て台詞を言って去っていく。
スカーレットのモノローグが続く。
「あの人が戻ってくるか、頭が変になりそう。あす考えましょう。でも早く考えなくてはダメ。」ここで、複数の声が被さって聞こえてくる。「いつまでも残っているのは土地だけだ」「生きる力を与えてくれるのは、タラの赤い土だ」「タラだよ。大切なのは、タラ!タラ!」顔を上げるスカーレット。「タラ!」「私のふるさと」「帰りましょう。タラに帰ってから考えましょう。」「そうだわ。明日に望みを託して」。
この映画の最後の名セリフ「Tomorrow is another day.」は、かつては「明日は明日の風が吹く」と訳されていたが、今は「明日に望みを託して」とされているようだ。セリフとしてはあまりしっくりこないが(笑)。
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ヴィヴィアン・リーの演技は素晴らしく、スカーレットのじゃじゃ馬で自分勝手な性格でありながらも、男社会の中で、強い意志と力を体現する女性像を確立した。
兵士の死体、負傷兵などのシーンでは、大量のマネキンも使われたという(笑)。
日本での初公開は戦後の1952年。戦争をはさんで製作から13年後の公開だった。
2005年まで全米歴代映画興行ランキングで1位だった(レート変換総収入)。