「父と暮せば」(2004)を見逃していたがようやく見た。
監督は「美しい夏 キリシマ」の黒木和雄。
原爆投下から3年後の広島を舞台に生き残ったことへの負い目に苦しみながら生きている娘と、そんな彼女の前に亡霊となって現れた父との心の交流を描いた人間ドラマ。井上ひさしによる同名戯曲をもとに黒木監督と池田眞也が共同で脚色。
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1948年夏、広島。
そんな彼女の前に、竹造が亡霊となって現れた。
実は、美津江が青年・木下(浅野忠信)に秘かな想いを寄せていることを知る竹造は、ふたりの恋を成就させるべく、あの手この手を使って娘の心を開かせようとするのだが、彼女は頑なにそれを拒み続けるのだった。
瓦礫の下から助け出そうとする自分を、なんとしても逃がそうとした父の想いを。
自分の分まで生きて、広島であったことを後世に伝えて欲しいという父の切なる願いを。
こうして、美津江は生きる希望を取り戻し、それを見届けた竹造は再びあの世へと帰って行くのだった。
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映画の最初のシーンで、娘の美津江が父にお茶を勧めても「飲めん」といい、まんじゅうも「よう食えん」と拒絶する。この父親は、1945年(昭和20年)8月に広島に落ちた原爆で亡くなっており、娘に助言したく、亡霊として登場していたのだ。
この父によれば「ぴかぴか」あるいは「ぴか」は、太陽が2個分の熱とパワーを持って広島一体を覆い隠したという。その雷は「どんどろさん」あるいはマグネシウムとも表現され、自らは火の中にあって、娘を逃げるように諭したが、父と娘との間で押し問答の末、娘はその場を逃げ生き延びたのだった。
娘・美津江(宮沢りえ)のみ生き残り、親友だったあき子を失くし、あき子の母は「うちの子やのうて、なんであんたが生きておる。なんでですか」という言葉が耳に残り、生き残った自分に負い目を感じ、その母との約束として「幸せになってはいけんのじゃ」と人並みの幸せは求めてはいけないと生きていたのだ。
「あん時の広島は生きているのが不自然だったんじゃ」という言葉が重い。
多くの人が亡くなり、生き残った人が罪悪感を抱いていたといった環境だったようだ。
美津江は23歳で、図書館で受付をしていたが、そこに現れたのが木下という26歳の男で「原爆の資料はありますか」と聞いてきた。原爆に関する資料は、占領軍(GHQ)の目が光っていて、資料は収集していない、持っていても貸出は出来ないと答えるのだった。美津江自身も父の思い出になるようなものは焼いてしまっていた。
映画は原作に忠実に映画化したというが、舞台と異なり、映画の特権とも言えるCGも使用し、原爆投下の瞬間のきのこ雲や、瞬時に熱線と爆風に覆われていく広島のまちの様子などは、舞台では表現できない、リアルで、ショッキングなものを見せている。
色彩はカラーというよりも、セピア調でモノトーンに近い映像で当時の背景などがリアルに再現されている。二人の会話を捉えるカメラが360度回って映しだすシーンもある。カメラの位置を意識させないので、おそらく天井にカメラを吊るして回しているのか。
この映画は、原爆投下の3年後の広島の夏における火曜日、水曜日、木曜日、金曜日の4日間を描いたものだが、その中でも水曜日における、「鬼の体の中に入った広島の一寸法師」を実演する原田芳雄の迫真の演技は壮絶で涙を誘う。
一方、主人公の美津江を演じる宮沢りえは当時31歳。
そして、この映画での彼女の演技は神がかり的とも言えるすばらしいものだった。
父親と2人で語り合うだけの場面が99%を占めているから、下手な女優では観客の目をくぎづけにし続けることなど到底できない。
宮沢りえの演技は、最初から最後まですばらしい。
31歳にして日本映画界の大女優・宮沢りえの誕生といっても過言ではないだろう。
スタッフ:
原作:井上ひさし
監督:黒木和雄
脚本:黒木和雄、池田眞也
撮影監督:鈴木達夫
音楽:松村禎三
キャスト:
福吉美津江:宮沢りえ
父・竹造:原田芳雄
木下 正:浅野忠信
予告編
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