情熱的な歌唱と激しいアクションで彩った歌手・西城秀樹が16日に死去したことが17日、わかった。63歳。広島県出身。
2度の脳梗塞に倒れ、懸命なリハビリを続けながら、最期まで「生涯歌手」にこだわった人生だった。「絶唱型」と呼ばれた歌唱スタイルと、ダイナミックなステージで、多くの女性たちをとりこにしてきたヒデキが旅立った。
1972年に「恋する季節」で歌手デビュー。
2度の脳梗塞に倒れ、懸命なリハビリを続けながら、最期まで「生涯歌手」にこだわった人生だった。「絶唱型」と呼ばれた歌唱スタイルと、ダイナミックなステージで、多くの女性たちをとりこにしてきたヒデキが旅立った。
1972年に「恋する季節」で歌手デビュー。
目鼻立ちが整った顔立ちと、ハスキーな声でシャウトする歌唱はまさに“ワイルドそのもの”。翌年には「ちぎれた愛」が初のオリコン1位。トップアイドルの仲間入りを果たし、郷ひろみ、野口五郎とともに「新御三家」と呼ばれた。
1979年発売の代表曲「YOUNG MAN」は、人気音楽番組「ザ・ベストテン」で唯一、最高点の9999点をたたき出し、歌謡界の頂点に立った。
俳優としても活躍。TBS系ドラマ「寺内貫太郎一家」(1974年)では、父親役の小林亜星と毎回のように“お約束”の激しい親子げんかが話題を呼んだ。小林に投げ飛ばされた際に腕を骨折してしまったエピソードは有名。
ハウス食品「バーモントカレー」のCMでは「ヒデキ、感激!」などのキャッチコピーがお茶の間の人気に。「ヒデキ」の愛称は芸能界の枠を超え、子供からお年寄りまで幅広い世代に愛された。
15年前からは病気とも戦ってきた。歌手として脂の乗っていた48歳の時に最初の脳梗塞を発症。8年後の11年に再発。それからは、右半身のまひと、会話をする際の言葉に障害が残った。筋力強化トレーニングやリハビリに務めながら、60歳をすぎても歌への意欲は決して衰えなかった。デビュー45周年の節目となった昨年まで、精力的にコンサートのステージに立ち続けた。
俳優としても活躍。TBS系ドラマ「寺内貫太郎一家」(1974年)では、父親役の小林亜星と毎回のように“お約束”の激しい親子げんかが話題を呼んだ。小林に投げ飛ばされた際に腕を骨折してしまったエピソードは有名。
ハウス食品「バーモントカレー」のCMでは「ヒデキ、感激!」などのキャッチコピーがお茶の間の人気に。「ヒデキ」の愛称は芸能界の枠を超え、子供からお年寄りまで幅広い世代に愛された。
15年前からは病気とも戦ってきた。歌手として脂の乗っていた48歳の時に最初の脳梗塞を発症。8年後の11年に再発。それからは、右半身のまひと、会話をする際の言葉に障害が残った。筋力強化トレーニングやリハビリに務めながら、60歳をすぎても歌への意欲は決して衰えなかった。デビュー45周年の節目となった昨年まで、精力的にコンサートのステージに立ち続けた。
1974年「紅白歌合戦」初出場(「傷だらけのローラ」)
ヒット曲は「激しい恋」「傷だらけのローラ」「ギャランドゥ」など枚挙にいとまがない。紅白歌合戦にも18回出場。記録と記憶を残した国民的スターが、短すぎる63年の人生に幕を下ろした。
ヒット曲は「激しい恋」「傷だらけのローラ」「ギャランドゥ」など枚挙にいとまがない。紅白歌合戦にも18回出場。記録と記憶を残した国民的スターが、短すぎる63年の人生に幕を下ろした。
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映画「愛と誠」から「激しい恋」の1シーン。
ご冥福をお祈りいたします。
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