駅で友人の車と待ち合わせて、午前中の用事を済ませて、ランチは駅から1キロくらい離れた、やや古めかしい食堂兼居酒屋に入った。
「だるま屋」さんという店だったが、賄いの人は80代と思しき年配のお姉さま2人とその娘さん(50代)の3人で切り盛りしていた。夜は居酒屋のようで、奥には、酒が飲める場所があった。昼はカウンターが中心のようだった。
中華丼を注文して運ばれてきた。
すると、店の一人が、「あ、玉子焼きがのっていない。」と声を上げ、すぐに「ごめんなさい。玉子をのせますから」とお盆を引き取ったのだった。まあ、ローカルの店らしく、庶民的だった(笑)。
目玉焼きが乗って運ばれてきた中華丼
今日は3月11日。あの東日本大震災から丸7年に当たる日だった。
この店でも復興支援のためのボランティア募金を行っているようだった.昔ながらの大型の郵便受けの貯金箱があった。
先日ラジオでもあったが、確か福島などから、各地に20万人くらいが疎開しているが、だんだん移転等により消息がわからなくなっているということだった。6割の人たちが経済的に困窮状態にあるということだった。当初は、市などでサポートもしていて、コンピューターで掌握していたようだが、仕事やアルバイトなどで移動が多くなり、市では管理・追跡ができなくなっているようだ。また、個人情報を一元化するのもプライバシーに関わることで、把握が難しくなっているということだった。
7年たっても未だに、震災の影響で大変な思いをしている人たちが多いようだ。
茅ヶ崎のあとは、大船から電車に乗り換え逗子駅で降りてバスで10分のところに立ち寄った。そこで所用を済ませて、逗子駅に戻り、逗子から、東京経由で戻った。東京駅の構内は、身動きがとれないほど混み合っていた。
地方から来た旅行者などは、行き先などわかりにくく混乱するだろうなと思った。
どこから人がこれほど溢れ出てくるのか、も驚きだ。
慣れっこの”元・東京人”(=元シティ・ボーイ)のfpdにとっては当たり前の光景だが(笑)。
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