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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">映画「8 1/2」(1963)再見。</span>



世界的な巨匠フェデリコ・フェリーニ監督の代表作の一本「8 1/2」(原題:イタリア語: Otto e mezzo=「8と半分」の意、1963)を再見した。

初回に見た時は、難解すぎて全く理解できなかった。
ハリウッド映画やドラマのように登場人物やストーリーを追う映画ではなかったからだ。ニュープリント版で見た。好みの問題で、観客を選ぶ作品かもしれない。

温泉地に滞在する43歳の映画監督グイド(マルチェロ・マストロヤンニ)の苦悩を描いている。簡単な筋書きがあるとすれば、スランプの映画監督が、温泉地に来て静養しながら、次の映画の構想を練る。そこに製作会社の担当者や愛人が追いかけてきて彼を追い詰める、というストーリー。
「8 1/2」というタイトルは、この映画の製作まで、フェリーニが撮った映画が8本と、共同監督の作品があることを示し、主人公の映画監督グイドは、フェリーニの分身。
新作の撮影を控えているグイドは、構想がまとまらず、プロデューサーや製作主任から急ぐよう催促をされながらも、すでにクランクインを2週間も延期している状態。
老いたブルジョワ枢機卿などの湯治客に混じって現れるグイドの旧友や愛人、そして妻ルイザ・・・。仕事上のスランプに加えて、冷え切った夫婦関係と、公私ともに絶不調のどん底。グイドが取った行動とは・・・。
ストレスにさらされているグイドの脳裏に浮かぶのは、幼少時の記憶。美少女の幻影が現れては消える。クライマックスは、巨大な宇宙船発射台の屋外セットを前に開かれる記者会見シーンと、そこにいた老いも若きも全員(グイドに関わった人間たちが一堂に集まった)による大円団の手をつなぎ合っての踊りは壮観。




  閉じ込められた現実から逃避したい。


映像面では、オープニングの「車からの脱出と空中浮遊」。車が渋滞。ほとんどストップモーション。音楽、セリフもなく、カメラだけが左右に揺れる。車から出ようとしてもが気苦しむ男の姿。車からやっと抜け出して、空を飛ぶ男。海辺で、凧あげのタコのように宙に舞う男。ヘリコプターからの「バンジー・ジャンプ」。
男が病院で見ていた夢なのか。ドクターの声。「新作の準備か?」。          空想と現実を行き来する「グィド」(フェリーニ監督)の頭の中は、妄想が次々に現れる。しかも、それらは、まったくつながっていない。イメージの断片ばかりなのだ。   
神経衰弱状態現実面での家庭、製作、契約上の揉め事も加わり、逃避したい衝動を押さえ込んでいるような状態に支配されているのがグイドだった。

監督自身が製作会社や批評家などから浴びせかけられた批判や主張に対して、皮肉めいた感情を表しているのかもしれない。

映画のセリフの中で、グイドが自分に言い聞かせる言葉で印象に残る言葉も多い。         「最大の欠点は基本構想の欠如だ。思想性が無い。無意味なエピソードの羅列。」
「曖昧なリアリズムは面白いが君の狙いはなんだ。観客を恐がらせることか。」
「前衛映画としての長所も無く、その欠点のみを持っている。」
「独りよがりは困る。観客にわかる映画でないと。」

音楽は、「太陽がいっぱい」の二ーノ・ロータが担当。                     ワーグナーワルキューレの騎行」が2度、流れていたのには驚いた。この曲は後年「地獄の黙示録」で有名になった。

  予告編




映画の中に登場するサラギーナという醜悪な大女が登場するが、フェリーニ作品には、こうした大女が「フェリーニのアマルコルド」などよく登場する。フェリーニの子供時代に見た強烈な印象を反映しているのか。大女コンプレックスの裏返しか(笑)。

セリフの中に「人生はお祭りだ。ともに生きよう」という言葉があった。
世の中は、酸いも甘いもある。人もさまざま。嫌な奴も含めて、みんなで生きていく、というフェリーニのメッセージであったかもしれない。



出演:マルチェロ・マストロヤンニ アヌーク・エーメ クラウディア・カルデナーレ
監督・原案・脚本:フェデリコ・フェリーニ                             音楽:ニーノ・ロータ
モノクロ、2時間18分。









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