「セッション」(原題:Whiplash、2015)を”ようやく”見た。
とにかくすごい、という以外に表現のしようがない。厳格な音楽教師を演じたJ・K・シモンズがすばらしい。
予告編にも見られたように”狂気”ともいえるような音楽の鬼教師・指揮者が徹底的に生徒をしごくという師弟関係の話が中心になっている。罵声がすさまじい。モノが飛んでくるという点では、演劇の蜷川幸雄監督を連想させる。
評価も高かった作品で、まもなく公開される「ラ・ラ・ランド」の宣伝文句が「セッション」のデミアン・チャゼル監督ということで見ておかなければならない。チャゼル監督は「セッション」撮影時は若干28歳。先月19日に32歳になったばかりで「ラ・ラ・ランド」も監督してしまうとは・・・。
チャゼル監督は、幼いころから映画を作ることを夢見ていたが、後に、ミュージシャンになろうとして高校でジャズ・ドラムに打ち込んだという。この時に厳格な音楽教師の指導を受けたことがチャゼルの出世作となった「セッション」を作る際に、大いに役立ったという。製作費4億円以下の超低予算インデペンデント映画。
上映時間がわずか106分という短さがいい。登場人物も舞台も極端に少なく、物語も時系列でわかりやすい。
・・・
大きな声で厳しくニーマンの演奏にダメ出しをする。
ニーマンは寝る間を惜しんでドラムを叩き、手を血だらけにし、何度も絆創膏を貼っては氷水で冷やす。画面から伝わる「痛さ」。その孤独な戦いが、見事に画面に展開されていく。指揮者フレチャーが指揮を始める前の一瞬の緊張感。フレッチャー(J・K・シモンズ)の強烈な眼光によるものだ。
「危険な言葉は、2語で言い表せる。God Job !(上出来)という言葉だ」。狂気の天才はいつも“不十分”の烙印を押され、それを跳ねのけようとして努力を重ねてきた。フレッチャーの音楽指導の哲学は、人生哲学にも繋がるシーンだ。映画の中の“狂気”が説得力で迫ってくる。
このほか、フレッチャーの言葉では、「リンカーンセンターで、スカウトの目に留まれば、”ブルー・ノート”(ニューヨークの有名なジャズクラブ)と契約できる。ヘマをすると、職変えだ。スカウトは一度見たやつは忘れない。」「リンカーンセンターは、人材発掘の場所だ。くれぐれも私に恥をかかせるなよ。」
そのほか、罵詈雑言の言葉では・・・。
「役立たずのユダヤのクズめ。ママが去るわけだ」(ニーマンの母親が幼い頃に家を出て行ったことを聞かされていた)
「アイルランドのイモ野郎」
「アッパー・ウエストのミスター・ゲイか」
「クソども!急げ!」
「(譜面を他人に預けたことに対して)バカに電卓を渡すとリモコンと思うだろう。」
「(男ばかりの生徒なのに)レイディーズ!動け!タナ―、お前は銅像か。動け!」
「租○ンで、音がふぞろいの薄っぺらなバカども。いいな?」
「音程がずれているやつがいる。(私の)耳に虫が入ったのか。入っていない!
ずれているやつは、自分で申し出ろ!」
「見つけたぞ!(He's HERE!) マンガ君」
「下を見るな。お菓子は落ちていない!」
しかし、こうした狂った師弟関係が、奇妙な絆に変化するかとおもわれたラスト9分間がスゴイ。お互いの復讐劇が交差する構成になっている。
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