中村紘子(なかむら・ひろこ)が26日、大腸がんで死去した。
72歳だった。
1944年、山梨県生まれ。幼少からピアノを始め、井口愛子氏に師事。慶応中等部3年だった1959年、日本音楽コンクールで1位特賞。米ジュリアード音楽院でロジーナ・レビン氏に師事し、1965年にショパン国際ピアノコンクールで4位入賞、最年少者賞を受けた。
世界各地で公演をしながら、チャイコフスキー国際コンクールやショパン国際ピアノコンクールなど数々の権威あるコンクールの審査員も務めた。また、97年から約12年間にわたって浜松国際ピアノコンクールの審査委員長を務めるなど若手ピアニストの発掘や育成にも尽力した。
1989年、国際コンクールの舞台裏を書いた著書「チャイコフスキー・コンクール」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。その後もエッセー集「ピアニストという蛮族がいる」を出版するなど、文筆家としても活躍した。さらにカレーのテレビCMに出演するなど、広く親しまれた。
2014年に大腸がんが見つかり、一時休養していた。昨年6月に本格復帰を宣言したが、同8月に活動休止を発表。今年の春から活動を再開するなど、復帰と休養を繰り返していた。
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1980年代後半に、ニューヨークで中村紘子リサイタルがあり、参加したことがある。
1968年設立のソニー・レコードの専属歌手第一号でもあった。そのため、会場には、ソニーの大賀典雄社長(当時)も来ていたし、ニューヨーク在住だった郷ひろみ・二谷友里恵夫妻(当時)の姿もあった。郷はソニーミュージックのアーティストでもあった。
ソニーの大賀さんは、元々バリトン歌手や指揮者としても知られ、とくにドイツのカラヤンとの親交が深かったことでも知られている。音楽家と経営者という二足の草鞋(わらじ)を実践した大賀氏が退職金と慰労金など私財16億円を投じて、軽井沢に「大賀ホール」を設立したのは有名だが、このホールではオープニング式典をはじめ、様々な催しで中村紘子はピアノを演奏していた。
72歳というのは若すぎる気がする。
ご冥福を祈ります。
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