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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「ブリッジ・オブ・スパイ」(2015)

 
スティーブン・スピルバーグ監督トム・ハンクス主演、ジョエル&イーサン・コーエン脚本の「ブリッジ・オブ・スパイ」(原題:Bridge of Spies, 2015, 日本公開2016年
1月)を見た。スピルバーグ監督作品としては、20年前の「シンドラーのリスト」(1994)の感動がよみがえるほどの重厚かつ胸に迫る作品だった。文句なく☆☆☆☆。
 
ストイキ・ムジー”(ロシア語:不屈の男
=Standing Man) というセリフが泣かせる。
 
”1957年 冷戦は頂点に達し 米国とソ連は互いの核戦力を恐れ 双方がスパイを放ち、 スパイ狩りも白熱した。事実に基づく物語(Inspired by true events)”という冒頭の言葉にあるように実在した勇気ある不屈の人物の物語を「プライベート・ライアン」「ターミナル」などスピルバーグ監督とは何度もコンビを組んでいる名優トム・ハンクスが演じている。
 
1961年8月に西ベルリンとの境界が完全に封鎖されるシーンも描かれ、この境界にはやがてベルリンの壁と呼ばれる壁が建設され、東西冷戦の象徴となった。
 
 
こんな話:
1950~60年代の米ソ冷戦下で起こった実話を描いたサスペンスドラマ。
保険の分野で着実にキャリアを積み重ねてきた弁護士ジェームズ(=ジム)・ドノバン(トム・ハンクス)は、ソ連のスパイとしてFBIに逮捕されたルドルフ・アベルマーク・ライランス)の弁護を依頼される。
 
敵国の人間を弁護することに周囲から非難を浴びせられても、弁護士としての職務を果たそうとするドノバンと、祖国への忠義を貫くアベル。2人の間には、次第に互いに対する理解や尊敬の念が芽生えていく。
 
死刑が確実と思われたアベルだったが、ドノバンの弁護で懲役30年となり、裁判は終わるが、それから5年後、ソ連を偵察飛行中だったアメリカ人パイロットのフランシス・ゲイリー・パワーズが、ソ連に捕らえられる事態が発生。
 
両国はアベルパワーズの交換を画策し、ドノバンはその交渉役という大役を任じられる・・・。第88回アカデミー賞では作品賞、脚本賞、音楽賞など6部門でノミネートを受け、ソ連スパイのアベルを演じたマーク・ライランス助演男優賞を受賞。
 
・・・
コーエン兄弟が担当した脚本がすばらしい
主人公の好みなどもさりげなく描いている。例えば、弁護士パートナー事務所のボスから「コーヒーはネスカフェ、クリームと砂糖2つだね」と言われ、CIA(米中央情報局)のダレス長官に呼ばれた時にも「ネスカフェ、クリーム、シロップ2個」(笑)でいいねと言われるのだ。
 
ソ連のスパイとして拘束され裁判が行われ、死刑宣告が確定的とみられている男アベルは「死は怖くない。第一希望ではないが・・・」。主人公のドノヴァン弁護士は、保険専門であったが、ソ連のスパイの弁護を依頼される。
 
そのやりとりは、「光栄だが、保険専門で、犯罪は扱っていない。」に対して、ボスは、「腕は鈍らん。君はニュールンベルグ(=ナチ戦犯を裁いた連合国主導の裁判)活躍した」「検察側です」「それは重要ではない。君は刑法に詳しい」「被告(スパイ)は全米の非難を浴びている。私も浴びる」「無知な人々だからな。だからこそ完璧にせねば。米国の司法制度を見捨てない証に」。
 
保険専門という主人公は、スパイを死刑にするのではなく、将来アメリカのスパイがソ連に捕まった場合の「スパイ交換」の”切り札”になる保険とすべきだと主張するのだった。裁判で判事は、極刑(電気椅子送り)に決めていたが、プライベートに自宅に来たドノヴァン弁護士の説得もあり、判決は「(スパイの)身柄はFBIに委ね、30年の刑」を言い渡すのだった。
 
スパイの弁護を引き受けたドノヴァンの自宅には、何者かにより銃が何発も撃ち込まれるという危険もあった。
 
 
 ドノヴァンは、民間人として、国を代表して、”人質交換”にドイツ(当時の東ドイツ)に極秘裡に出向く。家族には、心配をかけまいとスコットランドに釣りに行くと伝えるのだ。どんな魚と妻に聞かれ”サーモン・フィッシング”(笑)と答えるドノヴァン。
 
・・・
ドノヴァンが地下鉄に乗っていた時の乗客の反応が面白い。
ソ連スパイの弁護をした時には、非難の目でドノヴァンを見ていたが、新聞で、人質交換の立役者の新聞記事が出て、ドノヴァンの写真を見た乗客の婦人などは、好意の表情を浮かべるのだ(笑)。
 
「疲れた」と帰宅したドノヴァンは、帰るなりベッドに横たわった。
テレビでは、ドノヴァンが実は、大いに活躍したという報道が流れていた。
子供たちは「パパはサーモンを釣りに行ったのかと・・・」と戸惑う表情。
 
 
それにもまして驚いたのは、妻だった。
細部に至るまで見るべきところが多い。
1950年代後半から1960年代前半にかけての時代背景も興味深かった。
ラジオは、モトローラ社製で、テレビに映っていたのは「サンセット77」だった(懐かしい!)。
 
西側から東独に渡るときに身分証明書、通行証明などをドイツの憲兵に見せるドノヴァンだが、知っている限りのドイツ語をつぶやくが、朝でもないのにGuten Morgen
(お早う)など笑ってしまう。東側に入ると、不良の若者たちに取り囲まれでしまい、高級なコートを取られてかろうじて解放されるのだが・・・。
 
ソ連のスパイ・アベルが、解放されることになるが、このあとがドノヴァンは心配だ。
アベルは、自分が歓迎されているかどうかは、出迎えの人間がハグしてくるか、あるいは車の後部座席に乗せるだけかでわかるというのだ。果たしてその結果は・・・。
 
この映画、スピルバーグ監督の10年に一度の面白さ。
近年の映画でも、まれに見る感動作品。もう一度見ることになるだろう。
 
実在した人物・ジェームス・ドノバン(James B. Donovan、1916年2月29日ー1970年1月19日)は米国の弁護士、 米国海軍士官および政治的交渉者。ドノバンは1962年の捕虜となった米国のパイロット、フランシス・ゲーリーパワーズ (Francis Gary Powers)とソビエトスパイ、ルドルフ・アベル(Rudolf Abel)の人質交換、および1962年のキューバーでのピッグス湾事件失敗による1113人の米国人捕虜の帰還交渉で広く知られている。
 
  特別映像
 
ブリッジ・オブ・スパイ」(原題:Bridge of Spies2015)
製作国:アメリ
上映時間:141分
配給:20世紀フォックス(日本)
 
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