fpdの映画スクラップ貼

「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「渚にて」(1959)

 
骨太の映画で知られるスタンリー・クレーマー監督の映画「渚にて」(原題: On the
Beach, 1959)を見た。予想していた映画とはかなり違っていた。
 
・・・
舞台が1964年、メルボルンとあり、映画製作が1959年であるので、「おや」と思ったら、第三次世界大戦未来社会を描いている映画だった。オーストラリア・メルボルンでは「兄弟たち まだ時間はある」(There is still time  Brother) という垂れ幕が掲げられているシーンが何度も登場し、人々が祈りを捧げる集会のシーンがあった。ラストシーンでは、その垂れ幕が風になびいて、無人となっていた。
 
映画は、第3次世界大戦の原水爆による戦闘のため、地球上の北半分は絶滅し、死の灰は南半球にも迫り、人々は死滅したことを描いていた。戦争に対する人類への警告か。
 
・・・
ドワイト・タワーズ艦長(グレゴリー・ペック)が指揮する米原子力潜水艦ソーフィッシュ号「623」は、難を逃れてオーストラリアのメルボルンに入港した。
 
オーストラリアの若い海軍士官ピーター・ホームズ(アンソニー・パーキンス)は、妻と赤ん坊を故国に残し、ソーフィッシュ号に同乗して北半球偵察に行くことを命じられた。
 
タワーズ艦長に会ったピーターは、艦長を自宅のパーティに招いた。
女友達モイラ・デイヴィッドソン(エヴァ・ガードナー)もその席に招かれた。パーティの席上、原子科学者オスボーン(フレッド・アステア)の、原子力戦に関する口論で一同は雰囲気をそがれてしまった。
 
タワーズ艦長はモイラにひかれるものをおぼえ、2人はデートした。
しかし、彼が故国の妻子の話ばかりするのでモイラはいらいらした。
ソーフィッシュ号はやがて出航。到着したサンフランシスコは死の町と化していた。
 
サンディエゴで死滅したはずの町から発信されている無電を調査した乗組員がみたのは、ロールカーテンに吊るされたコカコーラの空き瓶が、風の力で電鍵を自動的に打鍵して断続的に電波を発信する仕掛けであり、スコーピオン号はメルボルンへ帰還する。
 
艦はメルボルンに帰港したが、オーストラリアの諸都市も次々と死滅していった。
自動車レースが開かれ、自動車狂のオスボーンは、フェラーリに乗って、大荒れに荒れるコースを乗り切り優勝した。
 
タワーズとモイラは山小屋で一夜を明かした。いよいよ、メルボルンにも最後の時が近づいてきた。街では自殺用の薬が配給された。ピーターは身を切られる思いで妻子を納得させ、薬を与えた。
 
オスボーンは車庫を密閉し、自動車の排気ガスで自殺した。
一方、ソーフィッシュ号ではアメリカに帰国することが決定した。タワーズもモイラへの想いを断ち切って艦に乗った。出航を知ったモイラは渚でいつまでも潜水艦を見送った。艦は一路、死の海に向かって進んだ。
 
 
・・
タイトルの原題On the Beachは、ピーター(アンソニー・パーキンス)が、妻のメアリーと初めて会ったのがビーチだった(On the Beach)、という会話があり、そこから取られているようだ。
 
”あの時、あの場所”といった会話があるが、ミッドウエイだったり硫黄島であることも会話に現れており、アメリカ側からみた第二次大戦の様子がちらりと語られる。
 
ヨット競争のシーンがあり、モイラ(エバ・ガードナー)とタワーズグレゴリー・ペック)のヨットが転覆。タワーズがモイラの尻を押して、ボートに押し上げるシーンがあったが、潜水艦からこれを見ていたオスボーン(フレッド・アステア)が「フランス映画のようだ」というのが笑わせる。(「太陽がいっぱい」はまだ公開されていなかったが。)
 
エバ・ガードナーは、エキゾチックなルックスで、やや濃い印象。
この映画の当時は37歳だが、もっと上に見えた。ハリウッドでは、ブロンド女優が多かったようで異色の女優とみられていたようだ。
 
映画は「渚にて 人類最後の日」というサブタイトルの本があるように、このままでは放射能によって人類が滅びるぞという、希望のない悲観的なテーマであったようだ。
 
 
☆☆☆