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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「アデル、ブルーは熱い色」(2014)

話題作は、偏見を持たず、なんでも見るfpd
(「ブロークバック・マウンテン」は見る決心をするまでに5年を要したが・・・笑)
 
一昨年(2013年)の秋にカンヌで絶賛され、第66回カンヌ国際映画祭パルム・ドール(最高映画賞)を受賞した「アデル、ブルーは熱い色」(日本公開2014年春)を見た。しかも、予備知識ゼロで見た。
 
フランス語の原題は「La vie d'Adèle – Chapitres 1 et 2」(英語タイトルは、Blue Is the Warmest Colour」。2013年、アブデラティフ・ケシシュ監督。179分。「R-18」。
 

”衝撃の問題作”という言葉が似つかわしい。ポスターも「衝撃の愛の七分間」と煽っている。確かに「ラストタンゴ・イン・パリ」(1972)にも匹敵するポスターではある。誰にでもおすすめという映画ではないようだ。

テーマと映像だけ見れば、スキャンダラスで、センセーショナルな印象を受けるが、決してそれが目的ではなく、普遍的な恋愛のストーリーの中で、他者に対する感情が同性に向けられたという点では女性版「ブロークバック・マウンテン」ともいえる。
 
約3時間の映画だが、アデルとエマの同性愛と別れ、仲間との友情、誤解・偏見から生じた嫉妬、いじめ、人間の心の奥底に潜む感情のむき出しの本音、皆で一斉攻撃、などどれをとっても、ウソ偽りはなく赤裸々に表現され、まったく長さを感じさせず引き込まれた。中にはまともに、”言葉の暴力”がひどいのでは、という生徒もいた。
 
エマ
こんな話:
高校2年で17歳のアデル(アデル・エグザルコプロス)は、すれ違っただけの青い髪のエマ(レア・セドゥ)に魅了されていた。バーで再び出会った2人はことばを交わし、情熱的に愛し合うようになる。                                
アデルは教師になることを目標とし、エマは大学で美術を学び画家になることを決心していた。だが、2人の関係は思いもよらぬところから崩れはじめる・・・。                                     
 
・・・
原作はコミックのベストセラーということだが、原作は主人公の名前は別で、映画は主演のアデル・エグザルコプロスの名前から、アデルとなったようだ。このアデルは、教師といっても小学生前の小さな子供たちに、本を使って言葉を教えている。
 
時々、国の政策(民営化)に反対のデモ行進に参加した時には、大きな声で歌を歌い、大いに盛り上がるなどの行動的なところもある。口を常に半開きにしていて、物事に一喜一憂しないで、常に冷静な目でものを見る性格のようで、感情をあまり表に出さない。あるとき、同じ女子クラスメイトが、たわむれてアデルにキスをしたのだが、アデルは自分に好意があると勘違い。後日、そのクラスメイトから、そんな気はなかったといわれショックを受けるアデル。
 
校庭で女子生徒仲間と騒いで遊んでいると、髪の毛のブルーの女性に目が止まるアデル。それが頭から離れないアデル。いつしかその中性的なブルー髪女性エマと会うことになり、エマに連れられて初めてゲイバーを訪れるアデル。見るもの全てが初体験のアデルだったが・・・。アデルは「(エマは)成人でゲイバーに通うタイプ」と思った。
 
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 敵意むき出し
この映画の時代背景は、いつごろかはっきりしていないが、まだ携帯電話のない時代のようだ。”セクシャル・マイノリティ”には偏見の目が厳しかった時代をうかがわせる。アデルが、ブルー髪の女と歩いていたという噂が広がり、「本当のことを言え」      
「嘘をつくな」「レズビアンだろう」と激しく仲間のクラスメイトたちから糾弾されるシーンは、ド迫力。アデルがいくら否定しても、敵意むき出しに追求するクラスメイトたち。まるで公開リンチのようだった。
 
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原作は、映画と結末がだいぶ違うようだ。
映画は、エマが画家として成功し、個展に呼ばれて参加するが、しばらくぶりにアデルはエマと再会するが、エマはエマで新しい生き方を始めており、もはや自分が場違いな場所にいると悟ったアデルは、新たな人生に向かって歩き出していた。
 
 (写真は、本来のレア・セドゥ)
レア・セドゥ
は、「ミッション・インポッシブル/ゴースト・プロトコル」では、金髪の謎の女を演じていたが、「アデル」では、まったく同一人物には見えないほど、中性的で病的なルックスが、インパクト大だった。レア・セドゥだが、この映画では、色気やヘチマはゼロ。とにかく強烈。 
                   
 
映画のカメラが大写しのアップが多く、内面までグイグイと迫る3時間。
コミック原作者は、レズビアンの女性という。アデルとエマの迫真の演技にカンヌでは絶賛の嵐というが、納得。
 
アデルが、エマに誘われてエマの両親(父親は義父)に会い、この両親が娘(エマ)が同性愛でも理解が深く、人間味に溢れ、アデルを食事でもてなすシーンはよかった。
一方で、アデルがエマを自宅に招き、両親と一緒に食事をするが、エマの両親とは対応が全く違っていたところも面白い。単に、髪の毛を青く染め、男っぽい風貌のエマが友達として紹介されたので、エマに「彼氏は?」「結婚は?」とダイレクトに聞いていた。
 
アデルの家に何泊かしていくエマだったが、「ベッドが二つだが、一つベッドにいるとは(親は)思っていないだろう」などと、両親が入ってきたらどうする、というヒヤヒヤのサスペンスもあった(笑)。
 
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セリフも面白い。
アデルとエマの会話だが、得意・不得意の会話で、エマは芸術方面(絵を描くこと)が得意だが英語が苦手。アデルは英語は得意という。
 
映画の話題で「スコセッシ、キューブリックが好き」というアデルは「字幕なしでも分かる」というのだが、エマが「何て言った?」と聞き返してきたので、アデルは(あ、エマは英語が苦手だったということを思い出したのか)「いや、別に」と答えるのだ。
 
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好みが分かれる映画で、苦手な映画だと思う人もいるかもしれないが、なんでも見てやろうという「勇気と覚悟」で見てはどうだろうか(笑)。アメリカでは、17歳以下は鑑賞禁止ということだったらしいが、ハイティーン層こそ見るべき映画だという意見も多いようだ。
 
「映画を見て、たとえショックを受け、寝込んでも当局は一切責任を負わないからそのつもりで・・・」(笑)。
 
☆☆☆☆