「ハンナ・アーレント」(原題:Hannah Arendt、2012)を見た。
ドイツ・ルクセンブルク・フランス合作の伝記ドラマ。
10年ぶりに連日長蛇の列ができたという。一部で根強い人気があるという。
・・・
映画「ハンナ・アーレント」は、アーレントがアイヒマン裁判を傍聴し、「エルサレムのアイヒマン」をアメリカの有力な雑誌の一つ「The New Yorker」に発表し、ユダヤ人の友人やコミュニティから非難されても、思考を止めずに主張を続けるハンナの姿を通じて、思考することの重要さを訴えている。
19日 - 1962年6月1日)は、ドイツの親衛隊(SS)の隊員。最終階級は親衛隊中佐。
戦後はアルゼンチンで逃亡生活を送ったが、1960年にイスラエル諜報特務庁(モサド)によってイスラエルに連行された。1961年4月より人道に対する罪や戦争犯罪の責任などを問われて裁判にかけられ、同年12月に有罪・死刑判決が下された結果、翌年5月に絞首刑に処された(Wiki)。
・・・
このアイヒマン裁判を傍聴した大学教授であるハンナ・アーレントが、裁判を通して、アイヒマンの言動・態度などから「モンスター(怪獣)と思っていたが、そこにいたのは平凡な人物だった。ただ思考を停止してしまった結果だ」という論調の報告が、アイヒマン擁護ではないかと、非難轟々のバッシングを受けることになる。
ハンナが指摘した思考停止というのは、アイヒマンの弁明の中にも現れていた。「善悪を問わず、自分の意思は介在しない。命令(総統の命令は法律だったという)に従っただけだ。反ユダヤだが、(ホローコーストで)自分で手を下していない、自分の任務を実行、ユダヤ人に敵意もないし責任はない」というものだった。「両極(義務と良心)状態だった。仕方が無かった」とも語った。ハンナは「これは典型的なナチの弁明だということはわかるが、世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪です。それを”悪の凡庸さ”と名付けました。アイヒマン擁護ではない」と、思考し続けることが肝要とした。
大学の当局から、教師辞任を言い渡されたハンナだったが、生徒からは大きな支持を得ているとして、教壇に立ち、”悪の凡庸さ”について熱弁をふるうと、ユダヤ系の聴講者から、非難の声も上がったが、ハンナは、「私も、ご存知のとおりユダヤ人です。」と語り、最後には大きな拍手が起こっていた。
ハンナ・アーレントが提唱した「悪の凡庸さ」というのは、20世紀の政治哲学の上で、重要とされているようだ。人類史上、類を見ない悪事は、それに見合う怪物が成したのではなく、思考停止し、己の義務を淡々とこなすだけの小役人的行動の帰結とする論考は、当時衝撃を持って受け止められたという。
凡庸な人間がそうした悪になり得るということは、人間が思考を放棄すればアイヒマンのようなことをしでかすかもしれない。その可能性を考えるのは怖い。そのため人はその可能性に眼をつぶり思考停止してしまいたくなる。しかし「悪の凡庸さ」が突きつけるのは、人間と非人間とを分け隔てるのは思考することであるというのがハンナ・アーレントの主張だった。
映画の最後に、「ハンナは悪という問題に何度も立ち返った。そして死ぬまでその問題に取り組んだのである。」というテロップが流れる。
・・・
ヘビー・スモーカーで常にタバコを吸っているが、学生に講義をする前に、「きょうだけ、タバコを早めに吸うけど、許してね」というのが面白い。
ハンナに長年仕えてきた秘書の女性が、言い出しにくそうに、手紙を届けに来ると、
ハンナは「読んでみて」という。その中身は、ハンナを非難する言葉で詰まっていた。また、同じアパートの住人からのメモですとドアマンから届けられる。そのメモは「地獄へ落ちろ。ナチのクソ女」だった。
「アイヒマン」記事の連載の第一回の記事が「ザ・ニューヨーカー」誌に掲載されると、1ページにつき100件の苦情があると編集担当者から言われる。ハンナはひるむことなく「決してアイヒマン擁護ではない。最後まで読んで」。
雑誌編集部では、読者からの手紙を、「同調する人」「批判的な人」「死を望む人」
に分類していたが、「批判的な人」の手紙の山が最も高かった。
映画は、ドイツの映画賞で作品賞、主演女優賞などを受賞している。
格調の高いドラマだった。
☆☆☆☆
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
「にほん映画村」に参加しています:ついでにクリック・ポン♪。