昨日テレビで、”映画における死にざま”(美しい死に方、最悪の死に方)などといった番組があったのでみた。ゲストに映画解説者や司会の他、映画に全く関心のない落語系の人がいて「はやく番組が終わらないか苦痛だ」というとんでもない人間がいてイラついたが。この落語家「死んだらおしまいだ。美しいも何もない」と身も蓋もないことを言っていた。
ところで、番組では、やはり87発の銃弾を浴びて、ダンスで踊っているような死に方だった「俺たちに明日はない」のスローモーション映像がまっさきに紹介されていた。
「俺たちに明日はない」(1967)のラストシーンの長々と続くスローモーションの映像は衝撃的で、後の映画にも大きな影響を与えたようだ。
この映画は、時代の波に取り残された無法者たちの滅びの美学を描いた作品で、西部劇に引導を渡した”最後の西部劇”と言われている傑作だ。
「博士の異常な愛情」は、爆弾のスイッチが作動しなくて、最後に人間が爆弾(弾頭)にまたがったところで発射するという、なんとも皮肉な映画だが、乗っている人間が、ロディオのように帽子をとって、動くのが痛烈だ。
ひと思いに、銃で額をぶち抜かれるのも”痛い”だろうが・・・。
「プライベート・ライアン」の紹介もあったが、ノルマンディー上陸の時に、話をしている相手の兵隊が、ヘルメットを取った瞬間に撃たれて、話しかけようとしたら死んでいたというシーンもあった。これは、スピルバーグ監督が多くの聞き取りをした結果、取り入れたシーンということだった。それだけリアル感が出ていた。
「マーズ・アタック!」(原題:Mars Attacks!、1996)は、未見だがオールスターキャストを湯水のごとく使ってもったいない。
火星人からレーザー攻撃を受けて、溶けて死んでいく姿がなんとも珍妙・奇怪。ジャック・ニコルソン、グレン・クローズ、ピアース”ボンド”ブロスナンまで・・・。
映画のタイトルは忘れたが、サミュエル・L・ジャクソンともうひとりが映画のオープニングで、ビルから二人で飛びおりて、即死してから映画が始まるというのもあった。
アメリカン・ニューシネマの傑作「イージー・ライダー」(1969)も強烈だった。ベトナム戦争後の疲弊しきったアメリカに登場した新たな若者文化、ヒッピー(長髪、ヒゲ、マリファナ、ドラッグ・・・)に嫌悪感を覚えた体制・保守層のいらだちが、そうした若者排除を象徴した映画だった。
「セブン」では、7つの大罪で殺されるが、大食い男(大食漢)の男は、無理やり食べ物を口に入れさせられて、殺された。
自分が死ぬときは、元気にポックリか、寝てる間に静かに・・・がいいだろう(笑)。
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