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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">★「箱根」旅行(会社OB会)のご報告。</span>


 

 

 

 

 
 
まさに年末の「息抜き」小旅行だった。
弾丸特急でヒュいヒュいと行って、ヒュいヒュいっと帰ってきた5日、6日の1泊2日の箱根・強羅(ごうら)温泉だった。
 
英語の表現で「いいニュースは・・・、悪いニュースは・・・」という決まり文句がある。
 
では、グッド・ニュースは・・・。
5日(金)の午前中。
「ブログ9周年記念」プレゼントの買い出しを済ませ、当選者3人分の発送を完了。
 

現地夕方5時集合(チェックインは2時~)だったので、お昼は、新宿のレストランはやしや(元・三平食堂)で、「ハンバーグと魚フライの定食」を食べた。三平食堂という名前は、昭和の落語家で「ど~もすいません」の林家三平の名前にちなんで付けられたという。ランチのコンソメスープはおいしかった。ハンバーグ好きにはハンバーグはイマイチ。学生の頃よく通っていたので、しばらくぶりに寄ったのだった。
 
午後。
新宿から小田急快速で、小田原に向かう。
目的地は「強羅」だが、小田原に行くには3通りあるが、急がないので料金の安い小田急・急行で。JR湘南新宿ラインよりも小田急の方が800円くらい安い。「ロマンスカー」だと、あっという間だが、指定席でプラス1,000円以上。
 
小田原から、箱根登山電車で、「箱根湯本」経由で「強羅」に向かった。
 

 
 

箱根登山電車は、線路の勾配(傾斜角度)では日本一で、世界2位という。
途中の小湧谷は、外国人に人気があるという。
スイッチバック」という箇所が3箇所。これは、車両が前後で入れ替わるところ。彫刻の森(標高539メートル)は、強羅の一つ手前だが、新○旅行できたことがある。

 
4時過ぎには強羅駅に到着。駅からの途中には、「旅情」という、映画のタイトルのようなコーヒーショップや「とんかつの店」などがある。
 
目的地の宿泊先は、わかりにくく、駅インフォメーションで聞いて、行ってみたが分からず、2度も宿泊先に電話してしまった。地図が読めない男か。
 
それでも、ようやく目的地である宿泊先「報道基金ごうら山荘」に到着した。早速チェックインしたら4:40分だった。早すぎるどころか、時間ぴったりだった。
 

 

既に幹事の部屋で、各部屋のビールなどを持ち寄って小宴会が始まっていた。
 
夜の会食・宴会は、6時からだったので、
1回目の温泉(風呂&サウナ)に。(翌朝は早朝に”露天”風呂に一人、いい気分だった)。
 
6時に大広間で、宴会。
幹事が挨拶。参加者は13人だったが、1人O(オー)さんが遅れて、7時頃の到着だった。宴たけなわだったが、司会者から、「遅れて来た人の”言い訳を聞こうではありませんか”」という発言があり、一同、Oさんに注目。そちらのほうを向く。
 
fpdもおっとりしたOさんをよく知っているが、同期の仲間うちでは、Oさんは、必ず遅れるので有名なんだとか。
 
Oさん、「えぇ~、実はカメラのストラップを落としまして、探すのに時間がかかりました。電車に乗ったら、混んでいて、電車も遅れました。そうこうして、今に至りました」と律儀に真面目に話すので、一同大笑い。
 
宴会のあとは、カラオケルームに寄ったが、1曲歌うごとに100円で、何人かの歌を聞いた。誰かが、歌い終わった人に「うまいですね」といったところ、「一応カラオケ同好会の幹事をやっていますので、ほとんど毎日歌っています」や、「カラオケの帝王」とか言われる人がいたので早々に退散して、歌わずに、部屋に戻った。
 
fpdの部屋は、13人中、OB会に初参加の3人が相部屋となった。皆、初顔合わせ。
ほかのふたりはfpdよりも数年先輩で、60代も後半。そのうちのひとりMさんがいたので、ビールを飲みながら、世間話や、昔の会社の状況や、Mさんが早々に会社を見限ってやめた理由などを、とうとうと聞かされた。
 
とまあ、ここまでは、なんのことはない、グード・ニュースだ。
酒が入ると同じことをくどくどいうのは、仕方がないが、こちらから前に聞いたことを、「・・・ですってね」というと、「どうして知っている?」と前に自分で話したことを忘れているから始末に負えない。
 
バッド・ニュースはここから。
悲劇は、布団に入って寝ようとしてから起こった。
このMさんのものすごいいびきが始まったのだ。寝こむが早いか「いびき」の断続的攻撃が始まった。隣にいるfpdは、タオルの端を耳あて(耳栓)にしたり、両方の指で、耳を抑えて布団に潜り込んだのだが、一向に止まない。
 
戦車のような爆撃音が、忘れた頃に継続して起こってきた。
「鉄人28号」の歌にあるが、「ガオ~」「ダダダダ~」「ガオ~」のたぐいだ。
2-3時間は、眠れずとうとう我慢も限界灘。むくむくと起き上がったfpdは、これは一晩中寝られないと判断。布団一式をふすまの外(入口の板の間)に持ち出して、寝ることにした。
 
・・・
朝、もうひとりの人が、「結構、うるさかったようですね」とやんわり言ったようで、fpdに「いや、すんません・すんません」と言っていたが、自分では全く気が付いていなかったという。こちらも「いいえ・・・」と言うしかない。本当は、「2~3時間一睡もできなかったじゃないか」と言ってやりたかったが我慢した。
 

そして、朝食。
朝から「お姉さんビール、どんどん持ってきて」と始まった。朝からビールを飲むのが習慣だからと、がぶ飲みしていた。
 
この人は、大声は出すわ、会社にはたった2年しかいなかったが、同期が多かったので「また来年もくるわ」と一人ではしゃいでいた。この人と相部屋はもうないだろうが、参加するのであれば、こちらは参加しないと固く誓ったのだった。
 
悲喜交々の旅行だった。
会社を辞めて、それぞれの年代(若手グループなどもある)で、これだけ集まるのは珍しいことだとか。会社は、超ワンマンの、独裁体制のようなところだったが、社員は人材が揃っていた。
 
人を育てない会社だったので、優秀な人ほど辞めていくといった会社だった。
使えないfpdは、なんと31年間もいたが・・・。まあ、そのおかげで、厚生年金基金(東京報道事業基金)の年金などの恩恵があるのだが。

 
 
・・・
会社を辞めた人のOB会の名簿(一定の年齢以上)も100人を優に超えるほどに揃っている。長年勤めれば、なにかしらプラスになることもあるということで、ポジティブに考えることにしている。
 
 
 
 
 
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