fpdの映画スクラップ貼

「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">★映画「紙の月」の撮影場所に「fpd母校(高校)」が使われる。</span>


 
 
映画「紙の月」を見たときに、エンド・クレジットの中のなかに「撮影協力」としてfpdの出身高校の名前があったので、「ユリイカ!(見つけた)!」とは言わなかったが、劇場内で、周りには聞こえないような声で「おぉ~」と小さなうめき声を発したfpdだった。
 
懐かしさとともに「なかなかやるな、オレ(普段は私だが、田舎にいくと俺俺)の高校」とちょっと嬉しかった。
 
■「紙の月」
監督:吉田大八
原作:角田光代
出演:宮沢りえ池松壮亮田辺誠一近藤芳正石橋蓮司小林聡美、平佑奈、清水彩花、猫田直、深谷市のみなさん他
[2014年3月撮影、2015年全国ロードショー(実際には2014年11月公開)]
【撮影場所:深谷商業高校記念館
 
・・・
撮影の詳細はわからないが、主人公の宮沢りえがミッション系の中学校に通っていた子供時代の校舎内か。
 

少々、わが高校について紹介を。
fpd深谷商業高校(=深商)に在籍していたのは、昭和40年代前半だったので、現在の記念館(写真)は修復されたもの。「深谷駅」とともに、立派でしょう(笑)。
 
この建物は県内で唯一、大正期の木造校舎の雄姿を完全なかたちで残す様式建築であり、国の登録有形文化財指定を受けている。
 
時の深谷町民にとって商業学校設置は悲願であり、地元有力者であった渋沢栄一や大谷藤豊などの尽力によって、大正10年(1921年)4月に開校を果たした。
 
校舎はフレンチ・ルネサンス様式を基調とした和洋折衷の木造2階建校舎であり、翌年の大正11年4月に完成。しかし、建立から90年の歳月を経た建物の老朽化は深刻な状況であったため、平成23年から保存修理工事を実施
 
その際に復原調査が実施され、創建当初は外観が現状の白色系ではなく、三緑色にて彩られていたことが判った。修理工事を終えた校舎が装う緑色は忠実に大正期の色が復原されており、必見とも言える歴史的建造物といえる(資料より)。
 
・・・
fpdが高校の頃は、甲子園に何度も出場するほど強かった。
一回り下の弟は、野球部で、甲子園には行かなかったが、県予選で「fpd弟、チャンスに併殺打で、敗退」という見出しが躍った(地方紙)。それじゃあ「ダメよ、ダメダメ!」
 
fpdが中学・高校当時は、深谷市には、女子高は2校ほどあったが、普通高校がなく、唯一の男子校が深谷商業高校だった。後に共学となったようだ。高2から、9クラス中2クラスが「進学コース」で、1年間いた簿記部を退部して、進学コースに潜り込んだfpdだった。
 
・・・ 
主な高校出身者:
・ドトゥール・コーヒーの創業者
・高橋千年美(元プロ野球選手)
・新井昌則(元プロ野球選手)・・・1966年のドラフト大洋ホエールズに3位指名され入団。俊足好打の内野手と期待されるも大洋ではほとんど二軍暮らし。1972年佐藤元との交換トレードで、ロッテに移籍。1974年には一軍に定着、内野ならどこでも守れるユーティリティプレイヤーとして起用され91試合に出場。同年のリーグ優勝に貢献し、日本シリーズも5試合に出場。
・荒船洋資(元プロ野球選手)
・狩野芳明(元プロ野球選手)
竹内広明(元プロ野球選手)・・・1971年には春夏の甲子園に連続で出場、いずれも深谷商にとって初出場。春の選抜では準々決勝に進出するが、この大会に優勝した日大三高の渡部良克投手(日大)に完封負け。夏の選手権では1回戦で銚子商の根本隆投手と投げ合い、延長10回サヨナラ負け。1971年のドラフト1位で大洋ホエールズ(現DeNA)に入団。超高校級の本格派右腕と評価され、鳴り物入りで入団。高卒ルーキーながら1年目の7月から先発に抜擢され、8月には中日戦で完封勝利を達成、2年目の1973年には9勝を挙げるなど期待された。
・fpd(「映画スクラップ帖」管理人。爆)

 
深谷市は、映画撮影でよく使われる。
映画館「深谷シネマ」(NPO深谷フィルムコミッション事務局もある)敷地内の「七ツ梅酒造跡」などは「そして父になる」の他、数々の映画の撮影に利用されている。
 
古くは原田美枝子のデビュー作「恋は緑の風の中」(1974)は、深谷市が全面協力した。
 
話が脱線しすぎたようだ。
 

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