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<span itemprop="headline">訃報:俳優・菅原文太(「仁義なき戦い」で一時代築く)、死去。  81歳。</span>


毎年、年の瀬を迎えると訃報が相次ぐ。
 
11月10日の高倉健の死去に続いて、映画「仁義なき戦い」シリーズなどに主演した俳優の菅原文太が死去したことが、1日分かった。81歳。
 
仙台市生まれ。早稲田大中退後、雑誌モデルとして活躍中にスカウトされ、1956年「哀愁の街に霧が降る」で映画初出演。所属した新東宝が売り出すが、1961年に同社は倒産。松竹に転じたがそこでも芽が出ず、東映に移籍した。
 

任俠路線全盛の東映では二線級のスターだったが、1971年「懲役太郎・まむしの兄弟」(中島貞夫監督)がヒットして頭角を現し、「現代やくざ」シリーズなどのあと、
1973年「仁義なき戦い」(深作欣二監督)でトップスターに躍り出た。
 
1975年の「トラック野郎・御意見無用」では、愛川欽也とのコンビで、乱暴だが情に厚いトラック運転手をコミカルに演じ、これも人気シリーズになり、夏と冬に公開される定番番組として人気を博した。2012年、俳優引退を表明していた。
 
とくに、広島を舞台に暴力団同士の抗争を描いた「仁義なき戦い」(1973年)では、義理固い若い衆を演じた。 終戦後まもない時期から約20年間に広島で実際に起こった暴力団による抗争事件をモデルとして、 第一作「仁義なき戦い」から第五作「仁義なき戦い:完結編」までが作られた(そのほか新シリーズとして亜流作品が数本ある)。
 
それまでのヤクザ映画は、義理・人情、いわゆる任侠の世界を描いたものだったが、「仁義なき戦い」は、裏切り、共謀、掟破りなどが日常化した現実の暴力団の世界がリアルに再現。 映画内で扱われる事件に関わった当事者の多くが、現実に生きている中で製作され「実録」モノの先駆的作品となった。
 
 
 
深作欣二監督の斬新な撮影手法、脚本家笠原和夫の綿密な調査、当事者の多くが生きているという現実感、さらには 伸びざかりの若手俳優によるイキイキとした演技など、このシリーズの価値を高めた要因は数多く考えられる。

たんなる暴力映画ではなく、戦後から高度成長期に向かう日本社会における一種の群像活劇として観客の支持を集めた。
 
さらに、1975年に公開された「トラック野郎・御意見無用」では、愛川欽也(80)演じるヤモメのジョナサンと人情味あふれるやりとりが人気に。立て続けに大ヒットした2つのシリーズが、菅原さんを国民的な人気俳優に押し上げた。
 

・・・
菅原文太のヤクザ映画を劇場で最初に見たのは、深作欣二監督の「現代やくざ」の最終第5作目の「人斬り与太 狂犬三兄弟」(1972)だった。この映画がきっかけとなって、広島抗争を描いた「仁義なき戦い」が生まれたと言われている。
 
ご冥福を祈ります。
 
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