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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">寂しい「名画座」の閉館。かつての”シネマ・パラダイス”はどこへ・・・。</span>


 
東京でも名画座が姿を消しつつある。
名画座にはそれぞれ思い入れがあり、消えていくのはさみしいものだ。
 
シネコンは、新作がたくさんあり選べるメリットはあるが、個性がなく、どこも同じの
”100円マック”だ(笑)。
 

この2,3年で閉館した映画館だけを見ても、
2012年の「浅草名画座」「浅草新劇場」「浅草中映劇場」、
2013年の「三軒茶屋中央劇場」「銀座シネパトス」に続き、約60年間営業していた「三軒茶屋シネマ」が、今年7月20日で閉館。8月には、新橋のガードしたの「文化劇場」「ロマン劇場」が閉館となった。
 

三軒茶屋シネマ」の閉館理由は老朽化と今後の長期展望が見えないからという。
 
三軒茶屋シネマは1955年(昭和30年)に「三軒茶屋東映」としてオープン。昭和48年に今の建物に改築され、平成9年に現在の館名に改められた。
 
この映画館も思い入れのある映画館の一つだ。
この映画館では、20代半ばの頃、会社の同期入社の友人を誘って、自分は見ていたがリバイバル上映で「白い巨塔」があると知って、五反田から渋谷経由で三軒茶屋にでむき、見に行ったものだ。
 
京都出身の友人は、大学を卒業してはじめて東京に来たので、関西弁(京都弁)丸出し。関西の財前五郎田宮二郎)の父親役の関西弁がいたく気に入ったようで、モノマネをしていた。 1974年にロードショーで「砂の器」を見て、しばらくしてから、数回目の鑑賞をしたのも「三軒茶屋」だった。
 

最もショックだったのは、「銀座 並木座」の閉館だった。
日本映画の1950年代の映画などの監督週間は大抵はここで見た。溝口、小津、黒澤作品などの他、松本清張原作の映画をよく見た。小林桂樹が名演を見せた「黒い画集 あるサラリーマンの証言」などが印象に残る。
 
およそ40年前の名画座で、よく通っていた劇場名と、そこで見た主な作品は以下のとおりである。(以前の記事を参考にした。)
 
①「並木座」(椿三十郎、軍旗はためく下に、白い指の戯れ、小早川家の秋女の園雨月物語
②「文芸座」(洋画:暗くなるまで待って、ファウスト悪の楽しみ、ひきしお、城の生活、好奇心、ニュールンベルグ裁判、スイートチャリティ、ロミオとジュリエット、真夜中のパーティ、ダーティ・ハリー、ワイルドバンチ
③「文芸地下」(邦画:約束、旅の重さ、夏の妹、八月はエロスの匂い)
④「有楽シネマ」(明日に向かって撃て!、わらの犬チャップリンのサーカス、タワリングインフェルノ)
⑤「名画座ミラノ」(昼下がりの情事、卒業、青春の光と影)
⑥「銀座文化」(忍ぶ川パリで一緒に小さな巨人不毛地帯、海外特派員、リップスティック)
⑦「テアトル新宿」(七人の侍隠し砦の三悪人
⑧「新宿オデオン」(猿の惑星・征服、フレンジー、ホットロック)
⑨「佳作座」(栄光のル・マン
⑩「後楽園シネマ」(西部戦線異状なし、警視の告白)
⑪「新宿ロイヤル」(死刑台に接吻)
⑫「渋谷文化」(刑事キャレラ10+1の追撃、マーフィーの戦い)
⑬「東急名画座」(いそしぎ)
⑭「全線座」(アイガーサンクション、新・動く標的、第三の男、カサブランカ
⑮「渋谷宝塚」(犬神家の一族=1976)
⑯「渋谷松竹」(影の車ゼロの焦点
⑰「日劇文化」(ラストショー、イージーライダー
⑱「新宿日活」(妖婆、ひとごろし)
⑲「銀座東急」(エンテベの勝利)
⑳「荏原オデオン」(O嬢の物語、逢引き、キートンの蒸気船、ゴッドファーザーPART II
21「テアトル銀座」(地上最大のスーパーチャンピオン天地創造
22「大塚名画座」(マリリンモンローの世界、ヤングフランケンシュタイン、ラスベガス万才!」)
23「新宿松竹」(北の宿から、俺たちの時)
24「新宿昭和館」(地獄拳大逆転、新幹線大爆破
25「新宿アカデミー」(ナッシュビル
26「渋谷パール座」(暴行魔、シャンプー、シンデレラリバティ)
27「新宿アートギャラリー」(M)
28「東劇」(タクシードライバー狼たちの午後
29「三軒茶屋シネマ」(「白い巨塔」「砂の器」)
30「新宿西口パレス」(ルーという女、コールガール)
 
東京都内23区に残る主な名画座とうたっている映画館は以下のとおり(※日本芸術センター運営の「シネマブルースタジオ」や「東京国立近代美術館フィルムセンター」など公的施設除く。)
飯田橋ギンレイホール
「池袋新文芸坐
早稲田松竹
「目黒シネマ」
下高井戸シネマ
 
・・・
角川系列の角川シネマやKシネマ、新宿武蔵野館など一般ロードショーされない単館系の映画館はいくつかあるようだ。 
 
名画座と一口にいっても、封切りから何年もたった往年の作品をかける劇場と、公開数カ月後の比較的新しい映画を上映する映画館の2種類があるようだ。前者としては池袋の新文芸坐ラピュタ阿佐ヶ谷神保町シアターなどがあり、後者では目黒シネマ、早稲田松竹下高井戸シネマなどがある。ギンレイホールは後者の代表格で、通常は早ければ封切り後2~3カ月で登場する場合もある。

ギンレイホールは行ったことがないので、見逃した封切りを早く見るにはいいようなので、行って見たい。
 
名画座が衰退していった最大の理由は、レンタルビデオの普及。
1985年(昭和60年)のTSUTAYA創業後、映画館の役割が変わってきた。
 
さらに1993年(平成5年)にはシネマコンプレックスが登場し、ヒット作以外がばっさりと切り捨てられる時代となった。ここにきてデジタル映写システムへの移行で、設備投資できない映画館がどんどん閉館に追い込まれていくことになったのである。

ボリューム(動員)勝負のシネコンが切り捨てるような作品を上映する映画館がなくなったら、多様な映画文化が消えてしまうことになる。
 
ヒットしなくとも、じわりと感動を与える映画は多い。
そんな映画を上映する、オールド・シネマ・パラダイスは、存続して欲しいものだ。
 
今回の記事は、今朝ほど、ゲストブックに「こんな記事があるよ」と教えてくれたguchさんの紹介のあった名画座閉館」のYahoo記事に触発されて書いたもの。
 
映画は日記。その時の自分の状況や、
あの映画はどこで見た・・・というのは案外覚えているもの。
シネコンだと、全く画一的で覚えていない。
 
 
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