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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

映画「浮雲」(1955)・・・ ”名作”をついに見る。

 
高い評価をされていながら、見る機会がなかった成瀬 巳喜男監督、高峰秀子主演の浮雲」(1955)を見た。このブログの訪問者の中でも、高く評価する「浮雲」だったので、レンタルショップで探していた1本だった。「浮雲」は、1989年に文藝春秋発表の「大アンケートによる日本映画ベスト150」では第5位にランキングされている。
 
レンタル店に、旧作の名作のコーナーがあって、「浮・・・」と言うタイトルが目に飛び込んで、借りて来たら「浮草」だったということもあった。「浮草」なら見ていたので、ショックだった。きょうは、目で確認した。「」でなく、確かに「」であることを(笑)。ついでに「流れる」も借りてきた。
 
浮雲」でも、高峰秀子の様々な表情、演技には圧倒される。
女の弱さ、生き抜く強さ、たくましさを表現している。「二十四の瞳」とともに高峰秀子の代表作の1本だろう。
 
内容的には、当時の時代背景などを反映して、全体的に暗い。
主人公の女性(高峰秀子)の相手の男(森雅之)が、かなり自分勝手であり、他人にはいい顔をし、酒を飲むと気が大きくなり、酔った勢いで女性に手を出したりという男なのだが、そんな男と思いつつも、離れないというのが、なかなか理解に苦しむ。
 
まして、妻が亡くなり、葬式代が足りないので2万円貸してくれ、とやってくるとは・・・。旅館の女中に手を出し、同棲したり、集金に来た女性にも気を持たせるようなキスをしたりと、挙げればきりがないが、相手を見下すような話し方・態度、表面的な真面目さ、見栄、体裁の塊のような男におぼれていく女というのも・・・。
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この映画の時代背景は、昭和21年(1946年)冬。
前年8月15日に、終戦を迎えて、まだ数か月しかたっていない時代。
富岡という家にゆき子という女性が訪ねてくるところから始まる。
 
そして、場面は3年前の戦時中の仏印ベトナム)にフラッシュバックする。
ゆき子(高峰秀子)は、農林省タイピストとして赴任し、そこで農林省技師の富岡(森雅之)に会うのだった。当初は富岡に否定的な感情を抱いていたゆき子だが、やがて富岡に妻が居ることを知りつつ2人は関係を結んでしまう。
 
終戦を迎え、妻・邦子との離婚を宣言して富岡は先に帰国する。
帰国したら、妻と別れて結婚するといわれて、後を追って東京の富岡の家を訪れたゆき子だったが、富岡は妻とは別れていなかった・・・。
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失意のゆき子は富岡と別れ、米兵の情婦になっていた。
富岡が訪ねてきたときは、ゆき子は明るく元気になっているようにみえた。
終戦後の混乱した経済状況で、逆に富岡は仕事が上手くいかず、意気消沈。
米兵と別れたゆき子を連れて伊香保温泉へ旅行に行く。
 
当地の「ボルネオ」という飲み屋の主人、清吉と富岡は意気投合し、2人は店に泊めてもらう。清吉には年下の女房おせい(岡田茉莉子)がおり、彼女に魅せられた富岡はおせいとも関係を結ぶ。ゆき子はその関係に気づき、2人は伊香保を去る。
 
妊娠が判明したゆき子は再び富岡を訪ねるが、彼はおせいと同棲していた。
ゆき子はかつて貞操を犯された義兄の伊庭杉夫(山形勲)に借金をして中絶する。術後の入院中、ゆき子は新聞報道で清吉がおせいを絞殺した事件を知る。
 
ゆき子は新興宗教の教祖になって金回りが良くなった伊庭を訪れ、養われることになる。そんなゆき子の元へ富岡が現れ、邦子が病死したことを告げる。
 
富岡は新任地の屋久へ行くことになり、身体の不調を感じていたゆき子も同行する。船内で医者からは屋久島行きを止められるが、ゆき子は無理強いをする。
(船が出るときにかかる音楽は「蛍の光」だった。ヴィヴィアン・リーの「哀愁」でも「蛍の光」が流れていた。)
 
しかしゆき子の病状は急激に悪化し、現地へ着いた頃には身動きもままならない事態に陥った。ある豪雨の日、勤務中の富岡に急変の知らせが届くが、駆けつけた時には既にゆき子は事切れていた。
 
他人を退け、富岡は泣きながらゆき子に死化粧を施した。
ゆき子が亡くなってはじめてゆき子の存在の大きさに気が付いたのだろうか。
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高峰秀子の作品は、劇場で見たのは「喜びも悲しみも幾歳月」(リバイバルで1970年代半ば)などがあり、近年では「煙突の見える場所」「無法松の一生」「カルメン故郷に帰る」「二十四の瞳」などを見た。5歳に子役デビューして、1979年まで50年以上にわたって第一線の映画女優として活躍した女優は少ないのではないか。
 
 
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