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<span itemprop="headline">訃報:ピーター・オトゥール ”ロレンス”死去。81歳。</span>


今朝、Yahooトップページをみたら、「ピーター・オトゥール死去」のニュースが飛び込んできた。英BBC放送が伝えたものだが、家族が明らかにしたようだ。1932年生まれで、81歳だった。
 
ピーター・オトールといえば、世紀の名作「アラビアのロレンス」(1962)の狂気とも思える演技で圧倒的な存在感を示したが、デヴィッド・リーン監督のこの作品に主演したことで、永遠にその名を残すことになった。1962年度のアカデミー賞では、主演男優候補にとどまったが、映画は「作品賞」など6部門を獲得した。
 
 

 
オトゥールは、ロレンスの撮影に1年近くを費やしたが、ロレンス役は、マーロン・ブランドアルバート・フィニーが断った役だった。
 
オトゥールは、生まれはアイルランドだが、北イングランドのキリーに落ち着いた。
6歳のころにミュージカル「ローズマリー」を見て以来舞台に興味を持ち、兵役のあと、奨学金で王立演劇学校に学んだ。ブリストルのオールド・ヴィク座に加わり、3年半の間に73の役を演じて腕に磨きをかけた。ジミー・ポーターの現代劇「怒りをこめて振り返れ」からシェイクスピアの「ハムレット」、クリスマスのパントマイム・コメディまで幅広い役を演じた。
 
1959年にディズニー映画「難破船」の小さな役でデビューした。その後、共同で映画製作会社キープ・フィルムズを設立。

一方でシェイクスピア記念劇場で、シェイクスピア劇に主演し、アイドル的人気を博した。キープ・フィルムズ社自らの作品「ベケット」(1964)では、リチャード・バートンと競演し、主演男優賞候補となった。
 
映画では、このあと「ロード・ジム」(1964)「何かいいことないか子猫ちゃん」(1965)「天地創造」(1966)「おしゃれ泥棒」(1966)「将軍たちの夜」(1967)「007/カジノ・ロワイヤル」(1967)などがあり、これらはほとんどTV の洋画番組で見た。
 
 

 
1968年には「冬のライオン」で記憶に残る名演を見せた。
キャサリン・ヘプバーンはこの映画で、主演女優賞を得た。
ジョン・バリーの音楽が素晴らしい。

オトゥールは、チップス先生さようなら」(1969)「キャサリン大帝」(1969)「マーフィーの戦い(1971)「ラ・マンチャの男」(1972)などに主演した。
 
舞台俳優の豊富なキャリアを生かしたミュージカル「ラ・マンチャの男」は、共演がソフィア・ローレンだったので見たが、圧倒的な演技だった。
 
 

 
舞台の「ラ・マンチャの男」と言えば日本では、九代目松本幸四郎の代表作として有名だ。
 
ピーター・オトゥールは188センチ、髪はブラウン、瞳はブルー。
舞台出身だけに、その影響でオーバー・アクションが多かったが、大画面で特にその実力が発揮された。
 
ご冥福を祈ります。
 
追加:BBC放送はこちら:
 
 
 
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