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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">一流会社を辞めて芸人になった人:「私がマッキンゼーを辞めた理由 ―自分の人生を切り拓く決断力」</span>


 
               
 
他人(ひと)の目なんか気にしている場合ではありません」と力強く語るのは、
超一流大学東京大学)をでて、世界的にも一流企業マッキンゼー)で働きながら、それを「スパッ」とやめてお笑い芸人になった石井てる美(29歳)。
 
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人生の価値観が変わってきたということだろう。
30年前までは、一般的な幸福な人生というのは、いい大学を卒業し、いい会社に就職すること。それが幸せな人生を手にする最も確実な方法・・・だった。
 
受験勉強で偏差値ばかり高く、超一流企業に入ったが、逆境を味わったこともない人間が、職場の厳しさに耐えられず、ストレスで鬱になるという話は、たびたび聞いたことがある。そんな、エリート街道で彷徨う社会人になってはいないだろうか…と問いかけてくる1冊の本を石井てる美という人が書いた。
 
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そのひとりの女性が選んだ人生の決断が「勇気ある」と話題を呼んでいるというのだ。ある日一流会社を辞めてお笑い芸人になるという一大決心に至った心境を綴っているのが「私がマッキンゼーを辞めた理由 ―自分の人生を切り拓く決断力―」(石井てる美/角川書店)だ。

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優秀だった彼女がなぜマッキンゼーを辞めたのか?
その背景には、激務に追われて仕事の楽しさや自分を見失っていったことが関係した。

以下は、紹介分の引用。
「成長を続けて昇進できなければこれ以上自分はここに居られない」という厳しいルールが存在する世界。そんな環境でも入社直後からひたすら仕事に打ち込んできた彼女だったが、ある時、優秀なマネージャーと2人体制でのプロジェクトを任されてから歯車が狂い始めたという。
 
当時の仕事を、「次第に“メール一本打つのに何分かけてるの?”といった調子で日々の一つ一つの行動に対してものすごく細かくコントロールしてくるようになりました。分刻みであまりに細かな指示をされるので頭がおかしくなりそうでした」と振り返る彼女。

そんな状態では心身のバランスを崩してしまうのも当然だ。
日中は食べものがのどを通らず、日曜の午後になると過呼吸を起こすようになってしまったという。「こんなに辛いならいっそ死んでしまった方がラクだな」・・・そんなことばかり考えるほど憔悴しきった彼女だったが、自分を縛り付けているものは、マッキンゼーに勤めているという「見栄」や「体裁」だということに気付いたのだ。

「生きるために仕事をしているのであって、仕事のために生きているわけじゃない。そもそも私の人生なのに、なにもやりたいこともやらずに死にたくなってるんだろう。バカじゃないの」。

そこで彼女が出した決断こそが、マッキンゼーを辞め、生まれ変わったらやりたいと憧れていた「お笑い芸人」になること。しかし、マッキンゼーが大変だったなら他の会社に就職すれば良さそうなものを、なぜまたお笑い芸人に・・・? そんな周囲の疑問に、彼女はこう答えている。

「人生というチャンスは本当に一度きりです。(中略)一旦死んだものと思って、そして夢見ていた二度目の人生を手に入れたとでも思って、ずっとやりたかったことを本当にやればいいじゃないか、と思うに至ったのです」。

現在は、ワタナベエンターテインメント所属のお笑い芸人として芸歴3年目に突入。「決断することは“捨てる”こと」だと身を持って感じた彼女は、自分の選択を心から誇りに思い、これまでの人生では得られなかったワクワク感を日々感じながら生きている。働き方、生き方に悩む人こそ、彼女の決断から勇気やヒントをもらえるはずだ。
 
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半沢直樹」のドラマにあるように、バブル時代などは、銀行員といえば、一生安泰で、バラ色の人生が待っていると思ったものだ。fpdが就活をした40年前でも、銀行、証券などは花形業界になりつつあった。公務員などは、つまらないお堅い業種で、退屈極まりないと敬遠された。
 
時代が変わり、一流会社に入っても、まさかの業績不振で、リストラの風が吹いている。生涯安定して働ける民間企業などありえない時代にななると、「公務員はいいな。絶対つぶれないしな」という声が聞こえてくる昨今である。
 
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人間万事塞翁が馬」ということわざがある。
なんとなく「にんげん・ばんじ・さいおうがうま」と読んでいたが・・・。
(注:日本では正しいようだ)
 
中国語では、「人間(じんかん)」と読み、日本で言う人間(にんげん)の事ではなく、世間(せけん)という意味という。「塞翁(さいおう)」というのは、城塞に住んでいる「翁(おきな)=老人」という意味。

「城塞に住む老人の馬がもたらした運命は、福から禍(わざわい)へ、また禍(わざわい)から福へと人生に変化をもたらした。まったく禍福というのは予測できないものである。」という事。
 
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結局、人間の一生で、幸せだったかどうかは、人生を全うする時の臨終のときに決まるということかもしれない。最後に、「おれ(私)の人生は幸せだった」と言えるかどうか。
 
「あたしの人生暗かった♪」と歌った歌手は、先ごろ自殺したが、一時期華やかに見えても本当に歌詞のように「暗かった」ように思われる。
 
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