松井が2002年に読売巨人軍の主砲のポジションを去り、米大リーグに挑戦した時には、松井も述べていたが、「二度と後楽園に戻って巨人ファンの前に現れるとは思ってもいなかった」と語っていた。ポスト原監督の後は、既定路線であることを印象付けたセレモニーではあった。
総理のごり押しとか、読売のアピールとかいろいろ言われたが、お祝いムードが批判の声もかき消したようだ。記録だけであれば、松井以上のプレイヤーはたくさんいたが、松井の謙虚な姿勢と人格などが評価されたものかもしれない。
この10年ほどは、国民栄誉賞を故人になってから受けるというケースがあったが、ミスター(長嶋)の場合も、ON(王・長嶋)と同時期に日本のプロ野球を盛り上げたビッグスターが、王から遅れること30年というのは遅すぎたきらいがある。
それにしても、アベさんという人、いろいろな追い風があるようだ。
ただ、数を力に、戦争に向かうようなかじ取りは断じて避けてほしいと願うばかりだ。
(8%、10%の増税も当たり前と思うな!(笑) できれば5%のままにしろといいたいが)。
ハイライトの始球式では、アナウンスの「バッター、サード、長嶋茂雄、背番号3」は、40年ぶりに聞いたが、そこはよかった!
始球式で、ぜいたくを言えば、長嶋への松井の投球は、高すぎるボールだったが、ストライクゾーンに入ってほしかった。そして、長嶋が快音を発して打ち返せば、サイコーだったが。あっけない一瞬だった。(後でわかったが、かつて長嶋監督から、現役の時にインハイに投げるように練習をしていたという)。
脳梗塞で倒れた長嶋さんも右手が使えず、手をポケットにおさめたまま。
スピーチも思うように話せず、少々気の毒に思えた。
1974年の引退時の、歴史的なスピーチには遠く及ばず、言いたいことの半分も言えなかったようだ。ただ、存命中に、弟子の松井と共に国民栄誉賞を受けることができたというのは、プロ野球界最大の功労者として喜びが大きかっただろう。
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