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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">進む映画と劇場のデジタル化。</span>


「新・午前十時の映画祭」 デジタルで甦る永遠の名作 予告篇
 

 

 
かつてロードショー公開された映画はフィルム素材だったため、数年後、数十年後に劇場で見ると、フィルムが劣化していて、画面にざわざわと雨が降っている
ように見にくかったという経験をしたものだ。
 
この何年かは、ニュープリントによるフィルム上映が一般化してきた(「午前十時の映画祭」など)が、ここにきて劇場側でデジタル上映に絞ってきたところが増えてきたため、デジタル素材であるDCP(Digital Cinema Package)の上映に変わりつつある。
 
この分野はGH字幕さんが専門のようなので、詳しくはお任せすることにして(笑)、記事の受け売りになるが、“劇場のデジタル化”が映画産業界にとっては大変革といえる動きのようだ。
 
“劇場のデジタル化”は、第一義的には、映画館で上映される素材が従来の35㎜フィルムから、DCP上映用のデータファイルに変更されること。DCPファイルには圧縮化、暗号化された、映像・音声・字幕など、上映に必要なデータがすべてパッケージングされており、小型のHDDに収録されている。劇場では、専用のサーバーやプロジェクターを使って上映することになる。
 
ビジネス・興業的にみると、フィルムとの違いは、複製、運送などの面で格段にコストが低いことで、配給会社に絶大なメリットを生む。低減されたコストはプロモーションなどにつぎ込まれ、うまく興行収入が増加すれば、その後の拡大再生産にもつながる。
 
また、複製と運送が容易になることは、全国のより多くのスクリーンで上映することを可能にし、シネコンがその気になれば、すべてのスクリーンで30分おきに特定の人気映画などを上映開始することもできる
 
たとえば、いつでも「アラビアのロレンス」が見られる常設館のようなシネコンも登場することが考えられる。実際に複数のスクリーンを使って時間差でひとつの超大作を上映することはシネコンの常識になっている。
 


反面、全国のスクリーンが超大作ばかりで占められてしまうと、陽の目を見ない映画が増えてしまう恐れがある。そうなると、映画の製作本数が激減するだろう。

フィルムが作られなくなると、デジカメの登場で、銀塩カメラが衰退したのと同じ運命になる。フィルムの現像を請け負っている「ラボ」と呼ばれる会社も深刻だ。
 
技術の変革で、消えていった分野はこれまでも数知れない。LPレコード、ブラウン管テレビ、ポケベル・・・。
 
デジタルシネマのメリットは、何と言っても圧倒的な画質の良さ。
HDDに映画のデータを記録して配給されるが、データの解凍には厳重な暗号鍵ファイルが必要となることから、仮にHDDを盗まれたとしても無断で配布される可能性は極めて低いといわれる。セキュリティの面で優れているということだ。デジタル上映限定のシステムである3Dの登場は追い風になっているようだ。
 
デメリットもある。コストの壁だ。
「Y新聞」では、「フィルムとデジタル」転機の映画という連載を行っているが、昨日(5月2日)の紙面によると、「膨大な旧作 コストの壁」という見出しがあった。
 
DCPのマスター製作費はフィルムに比べて高額。デジタル化は、多くのスクリーンにかけてこそ、“コピー費が安い”という強みが活きてコストダウンが図れる。スクリーン数が少ない作品の場合は、フィルムの方が安い。その点、公開規模の小さな作品を扱う配給会社にとっては、デジタル化の意義が薄いとみられる。
 
記事によると、「膨大な旧作フィルムを一気にDCP化するのは不可能。DVD制作などの既存のデータを活用すれば、費用は数十万円程度だが、ネガのスキャンから本格的に行えば、数千万円以上ということも珍しくない」という。これでは、低予算映画なら新作1本できそうだ。
 
昨年以降、松竹は、木下恵介監督の「楢山節考」「カルメン故郷に帰る」、小津安二郎監督の「東京物語」のデジタル修復版を完成させたが、これは世界的監督の生誕記念の年でまれだという。
 

 
今年の4月から始まった「新・午前十時の映画祭 デジタルで甦る永遠の名作」では、再登場を含めて計25本の作品が上映される。
 

 

 
一度見ているからいいやというのではなく、「デジタル体験」は、新たな感動を呼ぶはずだ。”もう一度スクリーンで見たい”という映画が選定されている。
 
「あれ」と「あれ」と「あれ」だけは、もう一度見ておきたい(笑)。
 
 
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