映画「かぞくのくに」予告編
昨年の日本映画で、キネマ旬報ベスト10の1位に輝いた「かぞくのくに」をようやく見ることができた。小品ながら、考えさせられる作品で、感想は一言でいえば・・・。
「間違っても”あの国”でなく、”この国”に生まれてよかった」である。
あの国では、常に監視の目が光っており、”組織”により「決定」が下されたら、質問さえ許されない、絶対服従の世界なのだ。
今から40年も前だろうか、”パラダイスのようなバラ色の世界が待っている”という甘言のPRに乗せられて在日朝鮮人の多くが帰国したが、そこは「どう生き抜いていくか」(命令には絶対服従で、自由のない世界)だけを考えて、死ぬまで生きなけらばならない世界だったのだ。
2012年は、日本映画が充実していたような気がする。
ちなみに、2012年度日本映画のキネマ旬報ベスト10は以下の通り。
【2012年日本映画ベスト・テン】
1位 「かぞくのくに」☆☆☆☆
2位 「桐島、部活やめるってよ」☆☆☆☆
3位 「アウトレイジ ビヨンド」 ☆☆☆
4位 「終の信託」☆☆☆
6位 「わが母の記」 ☆☆☆☆
7位 「ふがいない僕は空を見た」☆☆☆
8位 「鍵泥棒のメソッド」☆☆☆☆
9位 「希望の国」 ★
10位 「夢売るふたり」 ☆☆☆
(未見だった「ふがいない僕は空を見た」も後に見た・・・)
ストーリー
在日コリアンのソンホ(井浦新)は総連の重役を務める父の勧めに従い、当時「理想郷」と称えられていた北朝鮮の「帰国事業」に参加し半島に渡り、現地で結婚し子供も生まれたが、離れ離れとなった家族の再会は果たされていなかった。
それから25年、ソンホの一時帰国が実現する。ソンホは脳に悪性の腫瘍を患い、その治療のため、3ヶ月の期間限定で日本滞在が許されたのだ。
検査の結果、ソンホの治療は3ヶ月では足らず半年以上の入院が必要だと告げられ、手術を断られてしまう。なんとかソンホの腫瘍を治療させようとリエがソンホの幼馴染で医者に嫁いだスニに相談していた矢先、朝鮮本国より突然の帰国命令が下る(Yahooより)。
「かぞくのくに」の時代背景:
1950年代末からの「帰国事業」で日本から北朝鮮に渡った者は、93,340人に上る。彼らは「地上の楽園」の果実を享受するため、あるいはその発展に資するため、建国間もない北朝鮮を目指した。一方の韓国が、外国との養子縁組で子供を国外へ送り出していた頃である。
映画「かぞくのくに」は、「帰国者」として兄を北朝鮮に送り出し、以来家族が会うこともままならなかった梁英姫(ヤン ヨンヒ)監督一家の実話に基いた作品である。
舞台となるのは1997年の東京。1974年に16歳で北朝鮮に渡った兄が来日し、25年ぶりに家族が再会する。
舞台となるのは1997年の東京。1974年に16歳で北朝鮮に渡った兄が来日し、25年ぶりに家族が再会する。
映画は兄が滞在した数日間の出来事を、ドキュメンタリータッチで克明に描き出す。
日本に生まれながら、16歳で日本を去ったソンホ。
ソンホの父の弟は、25年前に引き止めなかったことを後悔して嗚咽する。あの国では、日本の歌を歌うのも禁じられているが、ソンホが、家族が「白いブランコ」を歌うと、思わずいっしょに口ずさむ。空港に向かう途中でも、この曲を思わずハミングしてしまうところも切ないものがある。
印象に残るのは、25年前の仲間たちとの再会。
その中には、同じ年ごろの女性もいて、お互いに当時ほのかな好意を持っていたのだろう。二人で再会する場面があるが、女性は既婚だが「私といるときは、本心で話して」といい(朝鮮に帰らないで)「このまま二人で消えちゃおうか」というのもグッとくる(笑)。ソンホは、(悲しそうな顔をしないで)「笑顔でいて」というのが精いっぱいだったのだが・・・。
・・・
安藤サクラの悔しそうに歩き回る姿が印象的だった。
「愛と誠」といい「かぞくのくに」といい、自然体でうまいのだ。
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