「島育ち」田端義夫
1919年1月1日生まれで、芸能界では最長老格の94歳と、大往生だった。
戦前から「大利根月夜」などのヒット曲で活躍し、演歌界の最長老と言える存在だった。
かねてから「90歳までは歌う」と公言していた通り、2009年1月1日には歌手生活70周年の記念アルバムを発表、現役であることをアピールした。95年には日本歌手協会の5代目会長に就任し、04年には名誉会長の座に就いた。
最近では、テレビ東京の大みそか恒例の音楽番組「年忘れにっぽんの歌」にエレキギターを手に、威勢のいいあいさつ「オース!」とともにステージに現れ、代表曲「かえり船」や「島育ち」などを熱唱する姿が記憶に新しい。
少年時代、当時既にスターだった歌手の故ディック・ミネさん(享年82)がギターを持って歌う姿に憧れ、姉の勧めで歌謡コンクールに出場。優勝したことから歌手の道が開けたという。
「島の舟歌」「大利根月夜」「別れ船」など次々とヒットを飛ばし、戦中は中国や軍需工場などへ慰問活動も精力的に従事した。戦後は歌手に復帰するとともに、映画でも「底抜け青春音頭」「アジャパー天国」など数多くの喜劇作品を残している。
「NHK紅白歌合戦」には何回も出ていると思ったが、1963年の「島育ち」と89年の「かえり船」の2度出場した。
かねてから「90歳までは歌う」と公言していた通り、2009年1月1日には歌手生活70周年の記念アルバムを発表、現役であることをアピールした。95年には日本歌手協会の5代目会長に就任し、04年には名誉会長の座に就いた。
最近では、テレビ東京の大みそか恒例の音楽番組「年忘れにっぽんの歌」にエレキギターを手に、威勢のいいあいさつ「オース!」とともにステージに現れ、代表曲「かえり船」や「島育ち」などを熱唱する姿が記憶に新しい。
少年時代、当時既にスターだった歌手の故ディック・ミネさん(享年82)がギターを持って歌う姿に憧れ、姉の勧めで歌謡コンクールに出場。優勝したことから歌手の道が開けたという。
「島の舟歌」「大利根月夜」「別れ船」など次々とヒットを飛ばし、戦中は中国や軍需工場などへ慰問活動も精力的に従事した。戦後は歌手に復帰するとともに、映画でも「底抜け青春音頭」「アジャパー天国」など数多くの喜劇作品を残している。
「NHK紅白歌合戦」には何回も出ていると思ったが、1963年の「島育ち」と89年の「かえり船」の2度出場した。
バタヤンは、両親が好きだったので、よく聴いていた。
あまり最近は見なかったが、時々テレビに出ていたようだ。
ご冥福を祈ります。
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