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<span itemprop="headline">TV(BS):湯川れい子(エルビス・プレスリーを語る)</span>


エルビス・オン・ステージ」(1970)より、 Suspicious Minds。
 

 
音楽評論家の湯川れい子は、日本のDJの草分けであり、数十年間もラジオ等で活躍しているが、熱烈なエルビス・プレスリー・ファンとしても知られ、一昨日テレビで、エルビス・プレスリー特集番組の解説をしていた。
 
湯川れい子は、数多くのプレスリーライナーノーツ(音楽解説)を書いている。また、日本におけるプレスリーのファンクラブ幹部も務めている。
 
アメリカのプレスリーの自宅を訪ねたエピソードなども紹介していた。
プレスリーから、「何かほしいものは?」といわれて、つい「キス」と答えたものだから、”チュッ”としてもらったと、40年前を思い出して、70代前半の湯川さんがうれしそうに語っていた(笑)。
 
エルビス・プレスリーは、ロックンロール・ミュージシャンとして衝撃的なデビューだった(ようだ)。映画俳優としても、言ってみれば、アメリカの「若大将シリーズ」のような青春映画路線で多数の映画に出演した。
 
映画では「GIブルース」「監獄ロック」「ブルーハワイ」「ラスベガス万才!」などがあったが、プレスリー集大成ともいえるラスベガス公演の模様を映画化した「エルビス・オン・ステージ」(1970)は圧巻だった。
 
エルビス・オン・ステージ」は劇場で数回見た。
人間エルビスを描いていて、ステージ以外のひょうきんな面などが親しみを感じさせた。(蛇足だが、一度見て感動したので、当時学生だったfpdは、母親などを連れて有楽町の丸の内ピカデリーに再度見に行ったのだった)。
 
これを見た母(当時40代半ば)は、「エルビスはすごい」と隣近所のおばさんたち、知り合いに映画を進めていたほどだ。
 
エルビス・オン・ステージ」の曲の中では、とくに「ラブ・ミー・テンダー」「恋にしびれて」「今夜はひとりかい?」などが印象的だが、「サスピシャス・マインド」は好きな曲の一つだった。
 
エルビス・プレスリーElvis Aron Presley)は、1935年1月8日生まれで、1977年8月16日に42歳の若さで亡くなった。今年、没後35年ということになる。
 
プレスリーが亡くなった時、当時のカーター大統領は「エルヴィス・プレスリーの死は、我が国から大事な一部分を奪いとったようなものだ。彼の音楽とその個性は白人の国家と、黒人特有のリズム、ブルースのスタイルを融合させ、永久にアメリカの大衆文化の様相を変えてしまった。彼は、祖国アメリカの活力、自由、気質を世界の人々に植え付けるシンボルだった。」と語った。
 
アメリカ人にとっては、とてつもない大きな存在だったようだ。
 
全米ナンバー1獲得曲:
ハートブレイク・ホテル (Heartbreak Hotel) 1956年 8週間連続1位
ハウンド・ドッグ (Hound Dog) 1956年 11週間連続1位
冷たくしないで (Don’t Be Cruel) 1956年 11週間連続1位
ラヴ・ミー・テンダー (Love Me Tender) 1956年 5週間連続1位
トゥー・マッチ (Too Much) 1957年 3週間連続1位
恋にしびれて (All Shook Up) 1957年 9週間連続1位
テディ・ベア (Teddy Bear) 1957年 7週間連続1位。エルヴィスは「なぜこんな曲が7週No.1になったのか」と疑問に思ったという
監獄ロック (Jailhouse Rock) 1957年 8週間連続1位
ドント (Don’t) 1957年 5週間連続1位
冷たい女 (Hard Headed Woman) 1958年 1週間1位
恋の大穴 (A Big Hunk o’ Love) 1959年 2週間連続1位
本命はお前だ (Stuck On You) 1960年 4週間連続1位
イッツ・ナウ・オア・ネバー (It’s Now or Never) 1960年 5週間連続1位
今夜はひとりかい? (Are You Lonesome Tonight?) 1960年 6週間連続1位
サレンダー (Surrender) 1960年 2週間連続1位
グット・ラック・チャーム (Good Luck Charm) 1961年 2週間連続1位
サスピシャス・マインド (Suspicious Minds) 1969年 1週間1位
 
 
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