若松孝二監督、急死 12日に交通事故「命に別条なし」から一転
今朝のニュースを見て驚いた。
先日12日、自動車事故にあった映画監督の若松孝二さんが、17日午後11時5分、病院で亡くなった。2,3日前のニュースでは、命に別状はないということだったので、まさかと思った。76歳だった。
若松監督はテレビドラマの助監督を経て、63年に当時ピンク映画と呼ばれた成人向け作品「甘い罠」で監督デビュー。
60年代にピンク映画を多数手掛ける一方、暴力や政治、エロスをテーマにした作品が若者に支持された。
80年代以降に一般映画に進出。連続暴行魔が主人公の「水のないプール」や元全共闘世代の戦いを描いた「われに撃つ用意あり」で評価を得た。
関係者によれば、寺島も訃報を知り、大きなショックを受けているという。
戦友のような関係だったという。
つい数日前に、テレビで「女優・寺島しのぶ」を特集していた番組で、若松組の撮影風景などが紹介されていた。
若松監督は、映画監督の中では「異端児」と呼ばれていた。
映画の撮り方も、リハーサルらしきものはなく、そのシーンごとに、いきなり本番。
演技は、とくに俳優には指示を出さないのだという。俳優・女優に任せていたようだ。
「キャタピラー」では、寺島しのぶが、戦争で四肢を失った夫に、たまごを投げるシーンがあるが、これは寺島しのぶにゆだねられたが、あの強烈なシーンも、1回撮りだったという。基本的に撮り直しはしないのだという。
女優・寺島はどう表現するだろうと、期待しながら撮っていたに違いない。結果は、期待以上だったようだ。確かに、寺島の演技は、魂が乗り移っていたかのような、すさまじい演技だった。
「キャタピラー」の映画製作費は、低予算で、関係したスタッフも10数名ということで、もともと低予算映画を作ってきた監督としては、ごく当然のことのようだ。
最近改めて、若松監督の存在が再注目されていた時であり、今回の事故死は、ことばもないほどだ。
ご冥福を祈ります。
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