Alfred Newman - The Diary of Anne Frank (1959) - Main Title
映画「アンネの日記」(1959)を見たのは、映画館でなく、テレビで1972年6月25日だった。ちょうど40年前になる。アンネ・フランクが隠れた家というのがオランダ・アムステルダムにあり、博物館となっているのを見たのは30年前のことか。
1972年の学生手帳には、映画「アンネの日記」について、簡単なメモ書きがあった。
fpdメモ:年季が入っている手帳です→
・音楽は「荒野の決闘」「慕情」「イヴの総て」「南太平洋」「大空港」などのアルフレッド・ニューマン(1900年~1970年)。
・その中のひとり、13,4才のアンネ・フランクが書いた日記を映画化。
・白黒映画ながら、「影」と「光」の組み合わせなどのカメラが素晴らしい。
・猫の描写や、ラストシーンのドアをたたく音などが効果満点だった。
・史実に基づいた出来事であり、味わいがある。
・アンネ役のミリー・パ―キンスのきらきらするような瞳が印象に残る。
ミリー・パ―キンスは「アンネの日記」で一躍有名になるがその後は。作品に恵まれず、「ウォール街」(1987)にも出ていたが、印象が薄い。2001年にテレビの「アンネ特別ドキュメンタリー」番組「ヒストリー・スルー・ザ・レンズ/アンネの日記」(2001)があったようだ。
■アンネ・フランク(アンネリース・マリー・フランク、Annelies Marie Frank):
1929年6月12日 - 1945年3月上旬15歳で死去)は、「アンネの日記」の著者として知られるユダヤ系イツ人の少女。ドイツのフランクフルト・アム・マインに生まれたが、反ユダヤ主義を掲げる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の政権掌握後、迫害から逃れるため、フランク一家は故国ドイツを離れてオランダ・アムステルダムへ亡命した。
しかし第二次世界大戦中、オランダがドイツ軍に占領されると、オランダでもユダヤ人狩りが行われ、1942年7月6日に一家は、父オットー・フランクの職場があったアムステルダムのプリンセンフラハト通り263番地の隠れ家で潜行生活に入ることを余儀なくされた(フランク一家の他にヘルマン・ファン・ペルス一家やフリッツ・プフェファもこの隠れ家に入り、計8人のユダヤ人が隠れ家で暮らした)。
ドイツの切手に登場のアンネ・フランク
ここでの生活は2年間に及び、その間、アンネは隠れ家での事を日記に書き続けた。1944年8月4日にゲシュタポに隠れ家を発見され、隠れ家住人は全員がナチス強制収容所へと移送された。アンネは姉のマルゴット・フランクとともにベルゲン・ベルゼン強制収容所へ移送された。同収容所の不衛生な環境に耐えぬくことはできず、チフスを罹患して15歳にしてその命を落とした。
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