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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">映画「マイ・バック・ページ」(2011)</span>

 

 
今年公開されて、見逃している映画を追いかけ観賞する「未見映画・追っかけ企画」第1弾が、「マイ・バック・ページ」(2011)だ。
 
マイ・バック・ページ」というタイトルにあるように「マイ」は、評論家・川本三郎のことで、川本が、1968年から1972年の『週刊朝日』および『朝日ジャーナル』の記者として活動していた時代を綴った回想録である。
 
映画では、1969年、1970年、1971年、1972年と描かれるが、主に、東大安田講堂事件など、当時の学生運動や、活動家との出会い、独占取材、それが原因で逮捕され、有罪となるなどの顛末が描かれる。(結局、1969年は、東大の入試は中止。
関係ないですが、東大「命」という人は、「京大」「一橋大」にいくか、1年浪人したのかな)。
 
映画化にあたっては、2007年にプロデューサーの根岸洋之から川本の原作が監督の山下敦弘、脚本の向井康介に渡され、約3年をかけて脚本化の作業が行われた。
 

雑然とした雑誌社の雰囲気はある

       キャッチコピーは「その時代、暴力で世界は変えられると信じていた」。
 
1969年~1972年といえば、1969年に高校を卒業、大学に入ったfpdとどんぴしゃ世代だが、映画の中身は、当時の学生運動を中心とした世相を描いているものの、ドラマとしての感動はない。
 
原作者・川本三郎は、映画評論も多く、映画の中で、当時話題となっていた映画が登場する。これが映画ファンには、うれしい。
 
ファイブ・イージー・ピーセス」のポスターが背景に貼ってある。
 
主人公の週刊誌記者・沢田(妻夫木聡)が、その週刊誌の表紙モデル・倉田(なんと「家政婦のミタ」の長女・結役の忽那汐里(くつな・しおり!)と映画を見に行くのだが、その映画が「ファイブ・イージー
ピーセス」(※)。
 
沢田:「映画は面白くなかったね」
倉田:「私は面白かった。ジャック・ニコルソンが泣いていたところ。男の人が泣くところ好きだな。あれ、見ていなかった?」
沢田:「”真夜中のカーボーイ”でもダスティン・ホフマンが、怖い、怖いって泣くで
  しょ。男が泣くなんて、ダメだ。」
倉田:「そんなことないよ。私は、きちんと泣ける男の人が好き。」

 
別のシーンで、梅山(松山ケンイチ)が、語るセリフがある。
I'm scared! I'm scared(怖いんだ!)と泣くところがあるが、
あれは僕だ」という。
 
男が泣いて、涙をみせるなんて・・といっていた沢田だったが、映画のラスト・シーンは、沢田が、涙をこらえきれない、といった号泣シーンで終わっていた。
 
革命(暴力)で、日本を変えようとした男と、ジャーナリズムの世界で、スクープを取ろうとした男の話だったが、当時の世相を反映した人間の挫折感、虚無感などを描いていた。
 
忽那汐里は、「ミタ」の演技が、高く評価され、次のドラマなどでは、使いたいという声が多いのだとか。確かに「ミタ」では、鉄火面の「三田」と異なり、真剣な表情、演技力などは引き込まれた。今月22日に19歳となった。ドラマなどでは、すでに2-3年の経験がありCMにも出ている。数年後には、いま旬の吉高由里子井上真央綾瀬はるか北川景子などと肩を並べる女優になっているか期待したい。
 
出演:
沢田雅巳(週刊東部、東都ジャーナル記者):妻夫木聡
梅山(本名・片桐優 赤邦軍リーダー):松山ケンイチ
倉田眞子(週刊東都表紙モデル):忽那汐里 ※モデルは保倉幸恵
安宅重子(赤邦軍隊員):石橋杏奈
赤井七恵(赤邦軍隊員):韓英恵
柴山洋(赤邦軍隊員):中村蒼
飯島(東都ジャーナルデスク):あがた森魚
徳山健三:山崎一
清原(反戦自衛官):山本剛史
佐伯仁(運動家):山本浩司
中平武弘(週刊東都 記者):古舘寛治
前園勇(京大全共闘議長):山内圭哉 ※モデルは滝田修
唐谷義朗(東大全共闘議長):長塚圭史 ※モデルは山本義隆
タモツ:松浦祐也
白石(東都新聞 社会部部長):三浦友和
 
(※)「ファイブ・イージー・ピーセス」(1971年公開)
 紹介記事:
 
まだ「ミタ」と言えない未見の人は、この機会に、見てみるのもいいかも(笑)。
 
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