「スミス都へ行く」(原題:Smith goes to Washington, 1939)を見る。
これほど骨太のドラマだとは予想しなかった。ワシントンの政治に隠然とした影響力を持つフィクサーに支配された腐敗政治を批判する見ごたえのある映画だ。戦前の映画で、主演のジェームズ・スチュアートが若い(当時31歳)。
上院議員の空席を埋めるため担ぎ出されたのは田舎で少年団のリーダーを務めるスミス氏(ジェームズ・スチュアート)だった。スミス氏の父親と親交のあった上院議員ペイン(クロード・レインズ)の推薦だった。
1930年代に政治の汚職、買収、陰謀などを描いて驚きだ。政界をも牛耳る黒幕・ジム・テイラー(エドワード・アーノルド)の支配下にあったペイン議員も、テイラーの手先となって、テイラーのいいなりになって、その“帝国“を築く片棒を担いでいるなどは、スミスは知る由もなかったが・・・。
政治的にも青二才のスミスを上院議員の後任することで、政治を自由に操ろうとするテイラーの陰謀だった。「すべてテイラーが仕組んだこと」というところのセリフで、「テイラー・メイド」としゃれているところもさすが。ところが、議会の目論みをよそに、スミスは、気骨があり、リンカーンの「人民による人民のための政治」の実現に向けて闘うのだった。
スミスは、はじめてワシントンを訪れて、国会議事堂を見て驚き、リンカーンの胸像の文言に共感し、周りからは「アメリカの理想を信じている青二才」と他の議員からは小馬鹿にされるが、ボースカウトのキャンプ地を建設し、人種にこだわらず将来を担う人材を育てるために法案を提案。テイラーのマスコミを買収、抱き込んでの様々な妨害も繰り広げられ、情報操作の怖さも描かれる。
新聞の見出しは、「陣笠(Decorating chair)が出てきた」「上院議員の服を着た道化の登場」「華麗なる道化」など。
スミスの有能で知的な秘書、サンダース(ジーン・アーサー)は、お金と洋服を買うことだけを望んでいるような生活で、田舎者のスミスと軽蔑していたが、スミスの正義感、情熱などに心を動かされ、熱心に応戦するようになる展開が面白い。議会では、スミスの演説の時に、法律書をボーイスカウトを通じて手渡すが、その中に「マスコミも応援している。愛している」と一言。
24時間話し続けるという疲労困ぱいのスミスだったが、このメモによってまわりのヤジに対しても「元気ハツラツだ!」(オロナミンCのCMのようだ。笑)と勢いを増す。出席議員は、交代で休んで議会に参加するという作戦(スミスを疲れさせて、あきらめさせる戦術)だったが、スミスは休んでいた議員が入ってくると「ナイト・シフトのお出まし」といった余裕も見せる。
一方、テイラーは、主要新聞社の記事をすべてスミス攻撃に向けさせ、ボーイスカウトが中心に発行した新聞を奪い取り、配達の妨害を行う。世論を誘導した批判の電報を大量にスミスに送りつけさせたりする。
しかし、テイラーの息がかかっていたペインだったが、ラストでは、スミスの倒れるほどに振り絞る訴えに共鳴し、どんでん返しの幕切れとなった。
サンダース役のジーン・アーサーが素晴らしい。映画では「シェ―ン」くらいしか見たことがなかったが・・・。「スミス都へ行く」では、知的で聡明かつ美貌の秘書のように見えたが、酔って事務所に戻ってスミスに「わたしはレディじゃないもんね」というところなどがおかしい。スミスの母親が地元でボーイスカウトなどを応援して、新聞発行などで援護射撃を行っていたが、スミスがサンダースにジャムを送るように頼んでいた。サンダースは自身のファーストネームのクラりッサというのが気に入らなかったが、スミスの母親が、自分のことをクラリッサと電話で話しかけてきたのに感動したりするシーンもいい。
議会の議長を演じたハリー・ケリーという俳優も、スミスの発言に興味を持ち、とんでもない正論を吐く若者がでてきた(と思ったかどうかわからないが)、時々苦笑いするシーンが印象的だ。最後に混乱した議会の終了でも、思わず苦笑いしていた(笑)。まるで、腐った議会を正常に戻す救世主の登場に賛同するかのように・・・。
ジェームズ・スチュアートの役柄といえば、理想的アメリカ人の典型のような善人の役が多いが、「スミス」でも、正義感にあふれた若者を演じており、フランク・キャプラ監督もそうしたスチュアートの演技力・才能を早くから見抜いていたんだなと感じた。スチュアート出演作品では、「グレンミラー物語」「裏窓」などが印象に残る。
☆☆☆☆
(一度はみておくべき作品だ)
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