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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

ドロン映画祭:「世にも怪奇な物語」(1967, 日本公開1969)

アラン・ドロン生誕75周年記念映画祭」のドロン主演映画を見ようと、新宿のK’s Cinemaに行った。
ドロン映画祭の予告編はこちら:
 

まずがっくり!
3本立て上映だが、1本ごとに「1,300円」だった。
昔は、3本立ての一律料金だった。今回は、3本通し券なら「3,000円」とのこと。
これはまぎらわしいな。前に書いた記事では、3本で1,300円だったら安いという記事を書いてしまった(爆)。
 
仕方なく、最初に上映の世にも怪奇な物語を見た。3話のオムニバス映画で、原作がエドガー・アラン・ポー。監督がロジェ・ヴァディムルイ・マルフェデリコ・フェリーニ
3話にすべてドロンが出ているのかと思ったら、「第2話」のみで、共演は、ブリジット・バルドー
映画の始まる前に、ドロンのダンディズムをアピールするためかドロンのCM映像が流される。キザでもドロンなら仕方ないか。こんなセリフが流れるのだ。
「街を歩くとあらゆるところにアバンチュールが転がっている」(爆)。
ドロンがコートを着て歩いていると、女性の二人連れがすれ違う。すれ違った後にドロンが振り返り、女性の後ろ姿を目で追う。すると女性たちも、イケメンのドロンに微笑みかけ、ドロンも意味ありげに微笑む・・・。
おっと、肝心の「世にも怪奇な物語」。
第1話は、ロジェ・ヴァディム監督の「黒馬の哭く館
メッチェンゲルシュタイン伯爵家の令嬢フレデリック(ジェーン・フォンダ)は二十二歳の若さで、莫大な財産を相続した。気まぐれでわがままなフレデリックは、ある日、夜明けに見た悪夢を忘れるため、多勢の招待客と召使いを連れて、幼年時代を過した城に出かけた。
城でフレデリックはわがままのし放題。人々は彼女の憎しみを買うのをおそれ、誰もいいなりになっていた。ところが、近くに住むベルリフォジング男爵家のウィルヘルム(ピーター・フォンダ)だけは、そんなフレデリックに軽蔑のまなざしを向けていた。
ある日森の中でウィルヘルムが仕掛けた罠に馬を下りたフレデリックが足首をはさまれたのがきっかけで二人は知り合った。フレデリックは一目で彼にひかれ、誘惑しようとした。が彼は拒絶した。誇りを傷つけられたフレデリックはウィルヘルムの馬小屋に放火し、愛馬を救出しようとしてウィルヘルムは焼死した。
それ以後、黒馬が城に駈け込み狂ったように暴れたり、壁かけの馬の部分だけが焼けたりということが起きた。彼女は織物師を呼び、壁かけの馬を修理させたが、彼女には、その糸が自分の運命を織っているように感じた。
そしてある夜、不意の落雷によってあたりの草原一面、火の海になった。彼女の愛する黒い馬は狂ったように興奮した。その馬の背にまたがるとフレデリックは、火の海の中に飛び込んでいった。
この映画のジェーン・フォンダは、美しく、均整のとれた肢体をあらわにしていた(股下の長いこと!笑)。スタイルがいい!(「チャーリーズ・エンジェル」のキャメロン・ディアス並みだ。フォンダ一家の姉・弟の出演というめずらしい組み合わせだ)。
第2話は、ルイ・マル監督の「影を殺した男」
ウィリアム・ウィルソン(アラン・ドロン)は、何かに追われるように、ひたすら走っていた。教会で懺悔するためだった。教会に着くと、予定で忙しい司祭を無理やり捕まえて、「人を殺してきた」と、生い立ちから、今日までの経過を語り始める。
ウィルソンは、子供のころから、サディスティックで冷酷だった。自分に反抗する子供には容赦をしなかった。縄で、少年の首を吊るし、上げたり下げたりした。下の樽の中には、大量の大きな鼠がうようよといて、子供に恐怖心を与えていたのだった。
ところが、これをやめさせたのが、彼と同姓同名うりふたつの男だった。この男は、ウィルソンの悪事をことごとく邪魔をした。数年後、軍隊の士官となったウィルソンは賭博場であった美しい女(ブリジット・バルドー)とカードの勝負をした。
ウィルソンは、勝負に勝ち、支払いの代償として、多勢の目の前で女の上半身を裸にし、激しく笞打った。だが、そこにまたウィルソンがあらわれた。そしてウィルソンはインチキをあばいた。ウィルソンは、正義のウィルソンを短剣で殺した。その後、ウィルソンは教会の塔から墜落して死んだ。彼の死体のわき腹には深々と短剣が突きささっていた。もう一人のウィルソンは、もともとのウィルソンの分身だった。
ドロンの冷酷さがあふれた映画だった。
第3話は、フェデリコ・フェリーニの「悪魔の首飾り」
トビー・ダミット(テレンス・スタンプ)は、イギリスの俳優である。かつては、華々しい、名声と賞讃につつまれていたが、アルコール中毒がたたり、二年ばかりは仕事もなく、落ち目だった。
そんな彼にイタリアから新車のフェラーリを報酬に映画出演の話が来た。

彼はイタリアにとんだ。
テレビのインタビューがあり、イタリアのある賞の受賞式にゲストとして出席した。トビーは疲れ、酒をのみつづけた。
彼は、逃げるように会場を出ると、フェラーリにとびのり、ただひたすら車を走らせた。そしていつの間にか道に迷った。ある橋の工事中の標識の所で急ブレーキをかけたトビーは、そこに、夜霧のたち込めるむこうに白いボールを持ち、少女の姿をしながら、顔は老婆という幻覚をみた。
それはトビーを、甘美な死の世界に招いているようだった。彼は猛烈なスピードで、その幻覚の方へ前進した。
テレンス・スタンプは、怪優と表現したらいいのか、狂ったような演技が圧倒する。

ほかの2話と違って、フェリーニ独特の映像と音楽があふれている。真っ白くお化粧を塗りたくったような女や、大柄の女・・・これらは、「フェリーニのアマルコルド」などにも通じ、音楽も「甘い生活」「81/2」などのような雰囲気だった。やはり、音楽は、同じ二―ノ・ロータだった(笑)。
3話では、ドロンよりも、ジェーン・フォンダのエピソードが最も印象に残った。ジェーン・フォンダの向こうっ気の強さ、迫力はほかで真似をできる女優はいない。乗馬も似合う。
 
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