台湾映画「海角七号:君想う、国境の南」を見た。
お隣韓国と比べると、台湾映画の存在感は薄く、とくにこの10年間は、これといった映画がなかった様子。
「海角七号」はそんな中で、台湾の観客を引きつけ、大ヒットした作品。
口コミが利いたらしい。
以前、ブログ友のnipponiaさんの記事を見て、関心はあったが、今日まで機会がなく。Nipponiaさんは「台湾総合ブログ」を立ち上げている台湾通(こちら:
「海角七号」は、2008年8月に台湾で公開された。
台湾映画を見る機会は少ないが、これはなかなか面白い
60年前の恋物語と現代のラブストーリーが、あることをきっかけに交差するというシナリオもすばらしい。
物語の舞台は、台湾南部の恒春の街。日本人歌手中孝介(本人)のコンサートの前座を務めるため、住民を寄せ集めたバンドが誕生。主人公のボーカル(范逸臣)は、バンドのまとめ役の日本人女性(田中千絵)と対立するが、主人公の手元には、60年前に日本人教師が引揚船の中で書いた台湾人の恋人へのラブレターが配達されようもなく置かれていた・・・。
映画は、1945年12月25日、台湾から日本への引揚船に乗っている日本人(台湾で日本語の教師をしていた)の独白で始まる。その教師は、教え子の友子と恋仲だったが、やむなく帰国することになったのだ。日本への航海は、7日間かかり、その七日間、毎日恋文をつづっていた。
「台湾島が見えなくなってしまった。君はまだあそこにたっているのだろうか・・・」
場面は一転して、台湾の現在の街の風景を映し出す。バイクに乗った台湾の若者(范逸臣)が、ギターを壁にぶつけて叩き割って「台北なんかくそくらえだ!」と言って、バイクで走りだす。
このなにも関連性がなさそうな二つのシーンで、最初は少々展開に戸惑うが、それらの伏線が、あとで結びつき、感動につながる。
台北でミュージシャンとしての成功を夢見て挫折した阿嘉(アガ=范逸臣)が、故郷の恒春に戻ってきた。町議会議長を務める洪(馬如龍)は、オートバイでの配達の際の事故により休暇中の茂じいさん(林宗仁)の代わりとして、アガに郵便配達の仕事を世話する。
ある日、アガは郵便局に返されるべきであった「非-提出物」(あて先不明)の郵便物を見つける。それは、60年前の日本人教師の娘が、死亡した父親の遺品から投函できなかったラブレターを発見し、台湾に届けようと郵送したものだった。
その間、墾丁国家公園の中にあるリゾートホテルでは、日本からやってきた歌手の中孝介が公演するビーチコンサートの計画が進んでいた。だが「コンサートに出演するバンドのメンバーは地元の人間から選出されるべきだ」と主張する町議長が、その公的立場を利用して職権乱用ギリギリの急場凌ぎのオーディションを行なう。
結果、アガを中心に6人の地元の人々の前座バンドが結成されることになったが、年齢、キャリア、モチベーションが全く違うメンバーたちは練習すら上手くいかない。
彼らをマネージメントする立場として、中国語が話せるためにたまたま恒春に派遣されていた友子(田中千絵)という売れない日本人ファッションモデルに白羽の矢が立つ。
さなざまなアクシデントやトラブルを乗り越え、彼らはビーチコンサートを成功させることができるのか。そして、日本人(台湾での日本語教師)が、綴ったラブレターは無事届けられるのか(HPより)。
ネタバレになるが、現在80歳になる年老いた友子の元に、そっと手紙一式が届けられる。現在の友子は、後ろ姿のシルエットだけだが、自分の若いときの写真にまず目が行き、封筒から手紙を取り出す・・・。このあたりがセリフもなく、静かなシーンだが、ジーンとくるものがある。
その手紙には・・・。
「父のタンスから手紙の束が出てきました。父はこの1月に永眠しました。父が純粋に想いを寄せていた友子さんに読んでいただきたく、お送りしました」
60年ぶりの手紙を読む友子。
引揚船を見送る20歳の若い姿は映画の画面に出てくるが、現在の姿は、後姿だけだが、上品な印象。
音楽も素晴らしい。
最後にクレジットにかぶさる曲もいい。
こんな歌詞だった。
“そこは麗しの地
酒に酔わずとも
音楽が人を酔わす
美しいところ
心の重荷はここに捨てて
傷口も太陽の下にー
晒せばいい
月は満ちては欠け
潮も満ちては引く
不完全な美を
ぜひ味わいに来て
そこは麗しの地
きっと夢中になる
ここは麗しの地
ぜひ体感してみて“
ところで、田中千絵という女優。
台湾語も自由に操り、最初は言葉も乱暴だったが、バンドのリーダーに会って、自分に対して、つっけんどんにあたるのをなじったりするが、やがて恋愛感情に変わっていく。
蛇足ながら、恋する女性はきれいになるというが、この田中千絵という女優も、そのあたりの変化が見事。60年前と今と、同じ名前の“友子”の新たな人生が始まる。
田中千絵は、日本の芸能界に10年間身を置いたが、自分の実力で仕事をしたいと、2006年単身で台湾へ渡る。台湾では、師範大学で北京語を学ぶ。
無名の田中に転機が訪れたのは1年後。台湾生活の悩みをつづっていた田中のブログを見た映画監督、ウェイ・ダーション(魏聖)から、映画「海角七号」のヒロインに抜擢される。当時台湾映画界は、1998年以降の映画不況の真っただ中で10年間ヒット作がなく、この映画の撮影も資金難に遭遇し2度撮影が中断した。
田中は資金集めに協力し、スタッフと一緒になりスポンサーに頭を下げて歩いた。その後「海角七號」は、2008年に公開されると、台湾映画史上におけるNo.1の興行収入を達成する大ヒットを飛ばし、台湾版アカデミー賞といわれる「金馬奨」で、10部門がノミネートされ6部門が受賞する快挙を達成。
映画では、様々な曲が流れるが「野ばら」のほか、日本で橋幸夫のヒット曲「恋をするなら」の台湾バージョンも登場する(これは、それを知ったfpdが、台湾のカラオケでよく歌っていたらしい。爆)。
お勧めの映画。
☆☆☆☆
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