思い出青春歌謡曲46曲(懐かしの昭和メロディ)
昭和の歌を伝える歌謡番組があった。“懐メロ”番組があると、つい、見てしまう(笑)。
ゲストの一人、倍賞千恵子は「男はつらいよ」のさくらのイメージが強いが、歌手としての魅力も大きい。デビュー曲の「下町の太陽」は常に進化し続けていきながら、歌い続けているという。「さよならはダンスの後に」もいい曲だ。「オホーツクの舟唄」は、メロディーは、森繁久弥の「知床旅情」の原型になった曲のようだ。
「1週間のご無沙汰でした」の名司会者だった故・玉置宏さんの15年前の番組では、初代御三家の西郷輝彦(「星のフラメンコ」)、舟木一夫(「高校三年生」)、橋幸夫(「潮来笠」)は、すでに3人とも50歳くらいの年代で歌っていた。
大木英夫・津山洋子の「新宿そだち」も歌うことがあります。
次にムード歌謡グループの歌が続いた。中でも、メンバーが亡くなって欠けたグループの歌でデューク・エイセスの「おさななじみ」、黒沢明とロス・プリモスの「ラブ・ユー東京」(カラオケで歌います!)、鶴岡正義と東京ロマンチカの「小樽のひとよ」の3曲。
懐かしいのは、初代コロムビア・ローズの「東京バスガール」。
今年亡くなったしばたはつみの親友という伊東ゆかりは「小指の思い出」を。
「あなたが 噛んだ 小指が痛い 昨日の夜の小指が痛い」って(笑)。しばたはつみは「マイ・ラグジュアリー・ナイト」。
来年3月引退をするという二葉百合子は「関東一本〆」。
以前記事にしたことがありますが、25年前、イタリア行きの飛行機の中で、二葉さんもいて、濃霧で飛行機の遅れがあり、別の飛行場に緊急着陸するアナウンスがあり、その通訳をしたところ、感謝され、「(fpdの)両親が二葉さんの大ファンです」と言ったら、喜んでくれて、感謝の手紙が実家の両親に届いたのでした。といったエピソードも。二葉さん、覚えているかな(笑)。浪曲など芸歴76年! 「半分は、“岸壁の母”を歌っていた」という。
もう一人の大物歌手は村田英雄(「無法松の一生」)。
この二人の歌手もいまは故人となり、二葉さんも、涙していた。
「赤い靴」(倍賞千恵子)・・・「赤い靴 履いてた 女の子 異人さんに 連れられていっちゃった~・・・今では 青い目に 異人さんの お国にいるだろう」
昔は、外国人=異人さんでした(笑)。
「月の砂漠」
童謡を聴くと、小学生の頃を思い出しますね。
渡辺はま子の「蘇州夜曲」・・・これは古すぎます(親の世代以上でしょう)
20世紀最大の歌手、美空ひばりは「関東春雨傘」。
お、もう3時間近く、番組を見てしまった。