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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

<span itemprop="headline">「思い出青春歌謡曲・懐かしの昭和のメロディ」</span>

 
思い出青春歌謡曲46曲(懐かしの昭和メロディ
 
昭和の歌を伝える歌謡番組があった。“懐メロ”番組があると、つい、見てしまう(笑)。
 
「オッス!」というポーズで有名な“バタヤン”こと田端義夫から始まり、青江美奈、天地真理(見ないほうが良かったかも。笑)、フランク永井本田美奈子とつづき・・・。
 
高峰三枝子の「別れのタンゴ」、八神純子の「パープル・タウン」、弘田三枝子の「砂に消えた涙」(懐かしい!)
 
ゲストの一人、倍賞千恵子は「男はつらいよ」のさくらのイメージが強いが、歌手としての魅力も大きい。デビュー曲の「下町の太陽」は常に進化し続けていきながら、歌い続けているという。「さよならはダンスの後に」もいい曲だ。「オホーツクの舟唄」は、メロディーは、森繁久弥の「知床旅情」の原型になった曲のようだ。
 
「1週間のご無沙汰でした」の名司会者だった故・玉置宏さんの15年前の番組では、初代御三家の西郷輝彦(「星のフラメンコ」)、舟木一夫(「高校三年生」)、橋幸夫(「潮来笠」)は、すでに3人とも50歳くらいの年代で歌っていた。
 
歌謡界で唯一皆から「先生」と言われた歌手がいたという。フランスのシャンソンを日本で広めた石井好子(今年4月、87歳で他界)は「愛の讃歌」を、日本語とフランス語で歌っていた。
 
大木英夫・津山洋子の「新宿そだち」も歌うことがあります。
(大木さんのヘアスタイルに注目!笑)
 
次にムード歌謡グループの歌が続いた。中でも、メンバーが亡くなって欠けたグループの歌でデューク・エイセスの「おさななじみ」、黒沢明ロス・プリモス「ラブ・ユー東京」(カラオケで歌います!)、鶴岡正義と東京ロマンチカの「小樽のひとよ」の3曲。
 
亡くなった作詞家を偲んで、氷川きよしの「番場の忠太郎」、松山恵子の「未練の波止場」・・・「もしも私が重荷になったらすててもいいの~」(笑)。川中美幸の「越前岬」。
 
懐かしいのは、初代コロムビア・ローズの「東京バスガール」。
 
島倉千代子の「襟裳岬」、岡山敦郎の「高原列車は行く」、八代亜紀の「舟唄」。
 
ゲストの一人、村上弘明は「舟唄」に衝撃を受けたという。歌も好きなようで、布施明の「霧の摩周湖」(fpdも得意!)を歌っていた。村上くんもあまりうまくはない?(爆)。
 
今年亡くなったしばたはつみの親友という伊東ゆかりは「小指の思い出」を。
 
あなたが 噛んだ 小指が痛い 昨日の夜の小指が痛い」って(笑)。しばたはつみは「マイ・ラグジュアリー・ナイト」。
 
来年3月引退をするという二葉百合子は「関東一本〆」。
以前記事にしたことがありますが、25年前、イタリア行きの飛行機の中で、二葉さんもいて、濃霧で飛行機の遅れがあり、別の飛行場に緊急着陸するアナウンスがあり、その通訳をしたところ、感謝され、「(fpdの)両親が二葉さんの大ファンです」と言ったら、喜んでくれて、感謝の手紙が実家の両親に届いたのでした。といったエピソードも。二葉さん、覚えているかな(笑)。浪曲など芸歴76年! 「半分は、“岸壁の母”を歌っていた」という。
 
昭和の歌手の大御所の一人といえば、国民的歌手、三波春夫(「大利根無情」)。
もう一人の大物歌手は村田英雄(「無法松の一生」)。
 
この二人の歌手もいまは故人となり、二葉さんも、涙していた。
 
ふたたび倍賞千恵子。もともとSKD(松竹歌劇団)に入る前には、童謡歌手だったという。今また、童謡歌手として歌い続けるという。
 
赤い靴」(倍賞千恵子)・・・「赤い靴 履いてた 女の子 異人さんに 連れられていっちゃった~・・・今では 青い目に 異人さんの お国にいるだろう」 
 
昔は、外国人=異人さんでした(笑)。
 
月の砂漠
 
童謡を聴くと、小学生の頃を思い出しますね。
 
テレサ・テンの「何日君再来」の珍しい映像も。
 
渡辺はま子の「蘇州夜曲」・・・これは古すぎます(親の世代以上でしょう)
 
神楽坂はん子・・・「ゲイシャ・ワルツ」(これも、古っ!)・・・歌は知ってます。
 
五月みどり神楽坂浮子が和服でゲストとして登場。
 
おひまなら来てね」(五月みどり)、「十九の春」(神楽坂浮子
 
20世紀最大の歌手、美空ひばりは「関東春雨傘」。
お、もう3時間近く、番組を見てしまった。