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「名作に進路を取れ!」…映画とその他諸々のブログです。

スエーデン映画:「私は好奇心の強い女」(1971年公開)

 レナ・ニーマン
 
「私は好奇心の強い女」は、公開当時は、中身が ”自由奔放”ということで、センセーショナルな映画でした。これを見ている人は、ブログの中では、ひろちゃんと、○○さんと、XXさんくらいではないか(爆)。

 

この映画は、1966年に製作されたようですが、アメリカでは、その内容が「不適切」(ポルノ映画的扱い)の烙印で、1969年まで公開は拒否され、1969年に公開されて、スエーデン映画としては、逆に最大のヒットとなった。
日本でも、「私は好奇心の強い女(イエロー篇)」(1967、原題: I am curious: yellow)と「続・私は好奇心の強い女(ブルー篇)」(1967)のシリーズは、ともに1971年の公開だった。スエーデン映画といえば、イングマル・ベルイマンの「野いちご」「処女の泉」などの名作があるが、1960年代後半から欧州、とくにスエーデンを基点として起こった性の開放のうねりを反映した映画の代表格として登場したのが「私は好奇心の強い女」だった。
fpdもハイティーンの年代で、映画に関しては、“好奇心の強い”ほうだったので、見ることになりました。一言で言えば、22歳の女子演劇学生のレナ・ニーマン(本人)が、あらゆる社会、政治、性などに関心を持ち、インタビューしていく話でした。 実験的な映画だったかもしれませんね。

 

 

かなりドキュメンタリー色が強く、どこまでが真実で、どこがフィクションなのかわからない映画だった。主人公のレナは、ヴィルゴット・シェーマンという42歳の映画監督と「491」という作品に出演して以来、親しい仲だった。

 

レナはシェーマンに連れられて、ソビエトの詩人、エフトシェンコの詩の朗読を聞きに行っても、この次の公演で男友達のマグネスと演ずるラブ・シーンの事で頭がいっぱい。

 

シェーマン監督は「演劇学生のくせに政治を知らないなんて」とあきれ顔だったが、レナは監督の新作のために演劇学生のウラやマグネスとテープレコーダーを持って、人々に政治や社会問題を聞くために街へ出かけて行く。

 

次にスタッフは、オロフ・パルメ運輸相を訪問する。39歳のバルメはアメリカのベトナム政策を厳しく批判し、国内では“狂熱的平等主義者"と呼ばれ、スエーデンの明日を担う政治家として期待されている。バルメ(現在、首相)は、シェーマンの質問に答え、スエーデンの社会、政治政策のこれからなすべき施策を答える。

 

その夜、編集室でレナは1966年に撮影されたシェーマンとマーチン・ルーサー・キング(当時、37歳)との対談記録を見て無邪気に感動する。翌日のインタビューでは「非暴力についてどう思うか?もしスウエーデンが占領されたらどうします?」と聞いて歩くのだった。

 

レナは、父と二人で暮らしている。父は若い時、スペイン戦争へ義勇軍として行ったが僅か三週間で帰って来た。彼女の部屋にはドイツの強制収容所の記録写真と並んでフランコ総統の写真が貼ってある。レナは父から、ボリエという男を紹介される。二人は自然に結ばれ、レナは彼に政治問題から、自分がよかったかという事まで質問したり、自分が今まで23人の男と関係した事を告白したりする。

 

この映画にはもう一つ、演劇学生と映画監督の物語もある。撮影所に現われたレナはシェーマン監督に、今迄持っていたシェーマンのアパートの鍵を返す。これで監督と演劇学生の物語も終った。編集室を出たレナは若い俳優ボリエ・アールステットの腕に迎え入れられる。--演劇学生と俳優の物語の始まりであった・・・。 

 

スエーデン映画=ポルノ映画といわれていた時期もあったが、この映画は、意外と、真面目な映画だった(爆)。

 

主演を演じたレナ・ニーマンという女優は、イングリッド・バーグマン、リブ・ウルマン出演の「秋のソナタ」(1978、イングマル・ベルイマン監督)にも、共演している。そういえば、バーグマン、ウルマンもスエーデンが生んだ世界的な女優でした。